全くの未経験でカフェをはじめた話。1号店”船宿カフェ若長”

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。

昨日”よーそろ商い塾”をスタートしました。今回はpart1「なぜ今ローカルビジネスなのか?」というタイトルでお話をさせて頂きました。何かをはじめたいと前向きな思いに触れて私も御手洗でのはじまりであり1号店の”船宿カフェ若長”を改めて思い返しました。
今日は全くの未経験、それまでしようとも思わなかったカフェをはじめたお話を改めて。

ボランティアガイド養成講座で出会った場所”御手洗”

私の出身は広島県広島市。南九州で建材メーカーの営業マンとして約7年勤めた会社を脱サラし、妻の実家である広島県呉市に帰ってきました。

これからしばらく居るであろう呉をもっと知りたいと思っていたところに呉市が主催する観光ボランティア養成講座をたまたま見つけ受講し、そこで御手洗に出会いました。

海軍工廠、潜水艦、戦艦大和…海軍でできた町、呉の中心部から車で1時間ほど走った瀬戸内海の真ん中に浮かぶ島に御手洗という町がありました。呉市内とはまた違った海の色の鮮やかさをもち、美しい島の風景と江戸、明治、大正、昭和の建物が並ぶタイムスリップしたような街並みに魅了されました。

空き家であろう家々の壁にも生きた花が生けられ、人はあまりすれ違わない静かな通りながら決して暗さは感じず、どことなく明るさと昔から続いている生活感を感じました。明治時代から変わらず続いているであろう古い波打ちガラス越しに時計を修理するお店、生活雑貨店、昭和の映画館や文房具屋、そこにある建物や置いてある道具などすべて年季の入ったものばかりでしたが、なぜかそのすべてが私にとってとても新鮮でした。たまにすれ違う住民は明るく挨拶をしてくれ、屈託なく受け入れてくれ町の歴史や場所などを教えてくれました。

知れば知るほど御手洗の歴史の奥深さに触れ、小さいころに経験したような人と人同士の距離感の近さになつかしさを覚え、ズルズルと御手洗の魅力にはまっていきました。当時は原付で1時間30分ほどかけて通っていました。さすがにお尻が痛かった。。(笑)

何かすればいいのにと言われ、カフェを開業する。

当時、呉市内で弁当の飛び込み営業(パート)をしながら、自分達の事業として夫婦でシニアパソコン教室を立ち上げていました。2010年春のこと。

日曜日は基本お休みなので、ガイドの予約が入ると御手洗まで原付で行き観光ボランティアガイドをしていました。半年くらいガイドをしたでしょうか。ガイドが終わり、ボランティアガイドの会長とフラフラと歩きながらしゃべっているときに「ここ何かすればいいのに」と言われた言葉を真に受けた私は三軒長屋の真ん中、宇和島藩・大洲藩指定の元船宿(藩の仲介問屋的役割をこなす)を務めていた若長(当時は無料の展示スペース?)をカフェにしました。

実は御手洗と出会い、ここは面白いと一人わくわくしていたときに、知り合いのツテでとある古い町並みが残る別の場所にインターンシップに行ったことがあります。そこで古民家を改修してカフェをすることになり、改修やお店の立ち上げを手伝わせてもらいました。そこには2週間ほどしかいなかったのですが、色々な事業を見せてもらう中で思ったことがありました。

「これ自分できるわ…」(笑)
それから御手洗でカフェをするための具体的実行に移りました。

カフェをつくった理由

といってもそれまではカフェの経験もなく、ましてやカフェをしようなんて思ったことはこれっぽちもなかった私でした。ただ御手洗をもっともっと知りたいと思い、また、外からくる人が喜んでくれる価値と可能性を御手洗に感じていました。

なぜカフェをしようと思ったのか、理由は3つありました。

当時閉めっぱなしであった雨戸を開けたとき、海と島の衝撃的な真っ青の世界が目の前に広がり、遠く行き交う船を眺めながら時間が止まっているかのような感覚に陥るすばらしい風景を皆さんに見せたかったことが1つ目の理由です。

2つ目の理由、それはガイドをしているとき当時、年配の方々をご案内することが多く、「ゆっくりしたい」「ゆっくり休むところはないの?」という要望をよく聞いていたことです。確かにそういわれてみればカフェはない。

3つ目の理由は、この島には明治時代からコクのある甘さをもつ大長みかん、国産レモンの始まりとされる大長レモンがあるにも関わらずそれらを味わう場所がありませんでした。

元々夏に雨があまり降らず温暖な瀬戸内海気候、石組みの段々畑がより一層水はけを良くし、海からの照り返し”第二の太陽”をたっぷり浴び、みかんづくりに最も適した古生層という土壌。美味しいに決まっています。

そのものが美味しいので、あまり手を加える必要もなく、”ここにあるもの”でメニューができると思いました。

インターンシップに行き「じぶんできるわ」と思ったのは、以上の3つの理由もあるのですが、実はもう一つ。あまり言うとあれかもしれませんが(笑)

「これでいいんだ」と思ったからでした(笑)
やってみてダメなら変えればいいじゃないかと。
今日からカレーをはじめるというトップダウン指令があったかと思えば、やや、バーガーをやるぞとなったり。ザザッとつくって貼った宣伝ポスターをテレビ局の人が見てこれはマズイ映せないとなったら剥がしてという風に(笑)
ロケットダッシュでオープンし、かなり柔軟にコロコロと変えていくやり方を見て、そうか!と。

考えれば考えるほど動きが小さくなってしまいます。
ああなったらどうしようか、こうなったらどうしようか、あれこれ考えず、エイヤーでやることをお勧めします。
この記事も連続で書いた後、何日間か空けました。色々立て込んでいたものありますが、実は書きすぎて迷走した記事が何日かありまして(笑)お恥ずかしい話6時間かけて書いた記事もボツにしました。
事業もそうですが、そういうこともしょっちゅうあります。せっかく時間をかけて時間をかけてつくったものをリリースの直前で捨てることも今まで何度もありました。とにかく考えすぎるとよくありません。

出そうと思って出さなかったものをもったいないからと言う理由で無理やり使うことに固執してしまうと目的を見失ってしまい、かえって無駄な時間を過ごしてしまいます。そういうときは一旦離れる。

ですが、迷走して書いたものは使い物にならないので結局捨てます。
ただその迷走した時間もまたスキルアップのための肥やしになってくれています。そのように思うようにしています。

つまるところ完成形はない。ババっとつくってひたすらアップデート

話を戻します。そうだ!と思ったこと。どういうことかというと、以前も書きましたが、結局のところ「完成形はない」ということです。だったらババっとつくってひたすらにアップデートし続けて完成形に近づけるしかないと。今となっては私にとってはじめることはあまり重要なことでなく、それからアップデートし続けることの方が重要でして。

船宿カフェ若長は基本的に土日祝日営業ですが、営業が終わる度に何かしら変えていました。
段差がもう5センチ高ければ上がるのが楽だと思えば段差をつくり、これを一時置く場所が欲しいと思えば棚を増やし、新メニューが他のメニューの足かせになれば、作り方を変えてみたり、新しい道具を導入してみたり。はたまたやめたり。
最近は落ち着きつつありますが、試した道具も数知れず、別の場所で使えるものもあれば、今見るたびに無言でうなずいてそっと見えないところに置くものもあります(笑) それも成長のための肥やし…ということで。

当然私一人でやっているわけではなく、スタッフからも多くのことを教えてもらいます。「ここがやりにくい」「これがあると便利」から「こうやってみたらとてもやりやすかった」など仲間の知恵が加わると自分が気づかなかったアップデートにも繋がりました。

そうして今の船宿カフェ若長があります。これからもまだまだアップデートしていくでしょう。

と、私の御手洗での事業スタートである若長を思い出しながら書いてみましたが、今回の商い塾でも何かをはじめたい人の後押しができたらと思っています。私もお話させて頂きながら、改めて思い出したことも沢山ありました。

これから何かをはじたいと願う皆さんと共に成長していけたらと思います。
次回のよーそろ商い塾part2は「ローカルビジネスのつくり方」というテーマです。3月8日日曜日13時から開催します!

ご参加はこちらのFacebookページのコメントかメッセージで参加の旨お伝えください。
https://www.facebook.com/events/610310633033637/

それでは、よーそろー。

3つの古民家宿を核としたベンチャー創出事業

皆さん、こんにちは。よーそろの井上明です。

今日は三連休の中日。例年1月2月は観光業でいう閑散期で、今年はコロナウイルスの影響か宿泊が大きく落ち込んでおり、先週からようやっと春の宿泊予約がちらちら入ってき始めています。コロナウイルスも寒さもあっち行ってちょーだい!
そのような中、JR西日本さんが御手洗で撮影したCMをバンバン流して頂いているおかげか今日はGW並みの忙しさ。ありがとうございます!
カフェ若長も200人近いお客さんが来てくださいました。何組かお待ちいただき、諦めて帰られたお客さんも…せっかく来ていただいたのに申し訳ございませんでした。。

今日のタイトル「3つの古民家宿を核としたベンチャー創出事業」について書いていきたいと思います。

この事業で平成29年ひろしまベンチャー育成基金のひろしまベンチャー奨励賞金賞を頂きました。大正時代の洋館、江戸時代の町家を低価格宿、一組限定のラグジュアリーな宿、その中間の価格帯に位置する長期滞在型宿の3つの宿事業を通じて様々な事業の受け皿と波及効果を生み、新しい事業家・ソーシャルベンチャー起業家を排出する”装置”として機能させようというもの。

H29年ひろしまベンチャー奨励賞金賞を受賞

御手洗地区で空き家を改修し2011年に船宿カフェ若長、2013年にギャラリー脇屋、2014年に鍋焼きうどん尾収屋、2015年に物産館&カフェである潮待ち館をつくりました。素晴らしい感性を持った仲間たちと共に小さくとも個性際立つ事業をコツコツとつくってきましたが、やっていく中で様々な課題にぶつかり、同時に加える1アクションで全体を大きく変える可能性も感じる発見と出会いがありました。

平成28年に御手洗の自治会、老人会、女性会の各会長と重伝建を考える会の3役が御手洗魅力アップ事業3年間の最終年として何をやるかと話し合いをしました。私は当時重伝建を考える会の事務局長としてその会議に加わり、少子高齢化と文化継承に対し主体的にアクションを起こすため「空き家データベース化」と「御手洗みらい計画」づくりを提案し、実行していくことになりました。

「空き家データベース化」と「御手洗みらい計画」についてはまた別の機会に書くとして、その「御手洗みらい計画」の中で抽出したキーワード「御手洗ミュージアム構想」について翌年度に呉広域商工会に提案し、よりブラッシュアップをするために価値観のなるべく離れた外国人数人や専門家に来てもらい様々な視点から御手洗の価値を探っていこうという実行委員会を組みました。

ただの外国人ではなく、日本を良く知る外国人であり、価値を拾い上げて伝えることができる外国人ライター3人と御手洗とも以前から関わりのあったドイツ人の大学教授合計4人に加え、建築家やデザイナーなどモノの見方、表現が得意な専門家やDMO、中小機構や行政も交え意見交換や視察研修などにも行きました。

その中で感じたこと、それは宿の必要性と事業としての可能性でした。

「宿事業をやる勝負に出よう!」と私は決めました。

その理由は3つあります。

1つは、御手洗ミュージアム構想実行委員会で再確認した御手洗の一番良さ、それは元々御手洗にある、御手洗で続いているものであり、それらを深く味わうために宿が必要であるということ。目の前の観音崎から昇る美しい朝陽や空気感、静かでなだらかな海の中に響き渡るイソヒヨドリの鳴き声、独特な距離感で触れ合う住民との何気ない会話…その日常こそが非日常であり最高の”観光体験”であるということです。

2つ目は、宿としての事業性。
少ない人数で運営することができ、必ずしも多くの時間を必要としないところ。(お客さんが寝る時間も商品である)問題は初期費用。家賃や不動産取得費用、修繕にかかる費用や保健所の許可、消防の許可を得るための設備投資の費用がとても大きくなります。保健所、消防はしょうがないとして、古民家改修のノウハウ、道具などは今までやってきたものを持っているのでかなり低価格でやれる勝算はありました。また家賃に関しても私たちの今までの活動と思いに共感してくださる所有者さんの協力のおかげで何とか抑えることができる算段もありました。
これからアクションを起こし続けていくために必要な会社としての収益の柱となる事業の可能性を感じました。

3つ目は、宿事業によってお客さんの滞在時間を増やし、今まで仲間とつくってきた事業にもっと触れてもらいたいことと、新たなプレーヤーが新事業を生み出す環境をつくりたかったからです。
雨や災害、ニュースによる心理的冷え込みなどで御手洗への訪問客数は激減します。また平日の観光客は本当に少ない状況。だからこそまずは土日祝日に集中オープンし、続けながら次を考えようとしているのですが週末にそれらマイナス要因が続くと経営にかなり響きます。(それでもやっていける体制を何とかつくってきてはいるのですが)その課題を克服したかった思いもあります。また新鮮な魚料理を提供する料理人(そのとき、新鮮な魚料理を出す店が無くなってしまっていた)や目の前にある瀬戸内海の自然を活かしたアクティビティを提供する人(シーカヤックは数台ある)、BARや朝・夜の施設利用など場を活用する人を誘致したいと考えていました。御手洗でそれぞれが表現する事業を持ちつつ、お互いのノウハウやアイデアを持ち寄り次なる新しい事業を生み出すという好循環を構想していました。

そして3つの空き家に出会いました。

一つは築100年を超える大正時代に建てられた洋館であり元病院、もう一つは江戸時代末期に建てられた元旅館、そしてこちらも大正時代建築100年を超える元染物屋の物件。

1年半の間にほぼ同時進行で改修し3店舗オープンしました。ここでも沢山の難題にぶち当たりながらいくつもの壁を乗り越えていきました。多くの協力者のおかげで。
一つ一つに改修の”すったもんだストーリー”があるので、それもまた一つずつご紹介していけたらと思います。

左から一組限定宿「閑月庵新豊」中央が低価格素泊まり宿「GUESTHOUSE醫」右シェアハウス「港町長屋染初」

今宿事業をスタートして2年目3年目を迎え、それなりの手ごたえを感じています。一方で多くの改善点もやればやるほど見えてきました。
この3年で実際にチャレンジしようとやってきた移住者も数か月で2人帰っていきました。彼らがどうこうではありません。ただ当然厳しさもあります。私たちの至らないところも沢山あります。それもまた私にとってとても大きな経験であり多くの学びをもらいました。

まだまだ成功しているとは言えず、失敗も多く、やるべきことも山のようにありますが、私には”やらない”という選択肢はありません。そう、もう引き下がれないのです(笑)

誰もやったことのない課題に取り組み乗り越えれば、誰もやったことのない景色をみることができます。

私たちの挑戦はこれからです。
よーそろー

地域活動で大切にしていること

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。

私は瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の御手洗地区へ来てもうじき10年になります。出身は広島県広島市安佐北区。元々御手洗には縁もゆかりもなく、まさか江戸時代の古民家をカフェをするなんて思ってもみませんでしたし、ゲストハウスやレストランやシェアハウスなどももってのほかで。

一方で、見知らぬ地域でなんか上手くやっとるねとか、バランス取りながらやっとるねとかお褒めの言葉?と捉えていいのでしょうか、そのように言われることも多々あります。

地域活動の中で大切にしていること

縁もゆかりもないこの御手洗という場所で私が商いをしながらどのようにやってきたか、地域活動する上で大切にしてきたことをお話します。

それは、地域とそこに住む人の風習、考え方を優先することです。

サーフィンなどのローカルスポーツと同じ。地元優先型。

当たり前のことなのですが、なかなかできません。なぜならばその土地の風習や、文化、その人の周りの過去など知らないからです。そして自分の意見を通そうと自分のスピードで、価値観で、突き進んでしまいがちです。かく言う私も何度も何度もやらかし謝りにいきました(笑)その土地の文化やリーダーの性格もありますが私の場合、何に気を付けて今までやってきたのかポイントを書いていきたいと思います。

私が常に意識している3つのポイント

常に意識しているポイントは3つ。

➀ちゃんと筋を通す。
➁正論を通さず寄り添い合わせる。
➂間違ったらすぐ謝りに行く。

➀について。ついつい話を通すべき人に話忘れたり、話す順番を間違えたりで機嫌を損ねてしまう。「わしゃ聞いとらん。協力せん!」となることはどこの地域でもよくあることと思います。それだけならまだしも一度のミスが長く尾を引き、あいつの言うことは全部反対するなんてことに。そんなこと…と思われるかもしれませんが、なによりもこれが1番大事です。や、これがすべてかもしれません。筋道を立て、必ず通すべき人に話を通す。しかも順番を間違えずに。

手当たり次第に言いまくればどこかから何か話がくるだろうといろんな人に同じお願いをしてしまうのもアウトです。「この人にお願いしたんですが」と筋道を立てればいいのですが、それをせずスピードが遅いからといってあちこちで進めすぎると信用を無くします。またはじめに話した人と、次に話をした人の仲が悪ければ完全に非協力者を増やすことになってしまいます。

私もうっかりやってしまったこと多々あります。まち全体でイベントをするときなど、団体の長、使う場所の長それぞれ違う場合があります。伝えとくわと言ってくれたことで任せすぎて実は話が通っておらず、「どういうことだ!とあの人が怒っているよ。」なんてこともありました。

➁について。地域の文化や関係性を無視して正論を通すのもダメです。地域の事情云々考えなければ、たいてい正しく、そうあるべきことが多いでしょう。しかし、人は感情の生き物であり、狭い地域でやっていること。こちらが真っ直ぐな正論を通す前に、地域の事情をよくよく聴いてダメな理由の本質を探ることが大切です。恐らく、答えはもっと手前にあり、あ、そんなことなのかと気づかされることが多いと思います。

あるとき、大学生から依頼を受けてお花見コンサートをすることになりました。私は窓口をしていたのですが、地域の皆さんとその場を楽しみたいということで自治会に話を持っていき声がけをしてもらいました。大変盛り上がり、観客である住民の方も一緒に歌ってくれて素敵なひとときを過ごしました。引率の先生方もいらっしゃる中、打ち上げをし来年もやりたいと余韻に浸りました。

がしかし、次の日「会長が昨日のような学生が来るコンサートはしないと言っとる。」と連絡がありました。住民のある人はお店にわざわざやってきて「井上さん、昨日はとってもよかったわ!御手洗で桜の下であんなコンサートしてくれるなんて。嬉しくて子供に電話したわ」と喜びの声も聴いていたのに。。

会長に連絡し、何か不手際があったことあればお詫びしたいので話をしたいとアポを取り1対1で話をしました。どういうことだったのかと。

会長「コンサートのあと打ち上げをしたじゃろ?学生がおったのに酒を飲んだんじゃないか?20歳にならん学生がおったら大変なことになる。そんなことするんならコンサートはできん」

なんと!?引率の先生がいたことを説明し、未成年飲酒は大学も当然認めないのでそれは大丈夫だと説明するも、歳をごまかして場の雰囲気で飲んでしまいもし後でわかって何かあってからでは困ると難しい表情を浮かべていました。

「あと打ち上げというのがいかん。反省会ならいい。」

私「なるほど確かに。ではこうしましょう。もし来年コンサートをするならば、それは良しとして、打ち上げは無し。やるとすれば反省会。そして20歳未満の学生が一人でもいればお酒は無しにしましょう。それだとどうですか?」

会長「それならいい」

今年もやりましょうと学生から連絡があり、そのお花見コンサートは今年で8回目を迎えます。丁寧に何が問題なのかを聴き、提案することが地域にも自分にも関わる人にもいいことになります。

➂について。➀➁での失敗、やらかしてしまったときは、わだかまりができる前に速攻で謝りに行くべしです。伝えていなかった、間違った誤解を与えてしまった、意図するところをくみ取れなかった、それは怒らせてしまった自分が悪いと誠意をもって伝えることが大事です。それを怠り時間が経つとそれ以上のイメージを膨らませてしまい修復に余計時間がかかることになります。ちゃんと自分のこの部分が間違っていたと伝えればわからない人はいないと思います。

私も幾度かやらかしました。その都度謝りに行きました。「あなたに一番に話をしなければいけなかったのに、このような意味ではなく変に伝わってしまいました。大変失礼なことをしました。」と。

私は営業マンをしていたサラリーマンの新人時代に出入り禁止を2度くらいました。新人で知識もなく、独特な南九州の方言の中でミスをし、もう二度と来るなと扉をバタンと閉められました。ミスをした私が悪いのは事実。電話をしても一切出てくれず、私はそれでも謝るために毎日通いました。居なければ名刺を置いて帰る毎日。2週間通ったでしょうか。突然ある日、「事務所に来い、発注したい」と。それから仕事がある度にすべて私に注文してくれるようになり辞めるまでとても良くしてくれました。もう一つの出入り禁止も通い詰め作戦で出入り禁止を解き、そこから深い関係を築くことができました。

そんな経験もあり、来るなと言われると行きたくなる私だからでしょうか(笑)けっして打たれ強いわけではないのですが、少々ではめげません(笑)思ったことをやり切る力とそこに合わせることができる価値観の柔軟性は地域活動においても、ビジネスにおいてもとても大切なことだと思います。もっといえばそのような時こそ関係性を深めるチャンスなのですが、そこで終わる人は多いかもしれません。あまりにも理不尽で価値観がどうして合わなければ当然そこまでする必要もありませんが。

御手洗がもつ”町の文化”とよそ者感覚

御手洗は江戸時代にできた町で沢山の商売人や移住者を受け入れてきた土地です。町割りが行われ町年寄が置かれた御手洗町でした。そして東京ドームよりも一回り大きい広さの町で(福岡ドームと同じくらいの面積)昭和10年の全国市町村別面積調では全国で6番目に小さな面積の町。

「御手洗に行くときはちゃんとしか格好していきんさい」と隣町ではいわれうような街だったと聞きます。どこ行くのか誰と行くのかあまり詮索もせず、あっさりしているところもあれば80歳を超える人同士でも○○ちゃん、○○くんと下の名前で呼び合う距離感が私にとってはとても新鮮であり居心地がいい場所でした。

そのような場所なので排他的なところはあまりなく、教えてくれる人もいきり立つこともなく優しく接してくれます。だから私はこの町でとことんやろうともがき続けるのだと思います。

また、私は完全によそ者なので、自分の価値観を押し付け押し通そうとすることはあまりないのでいいのかもしれません。これが地元の人だと自分はここで生まれた人間だからこうすべきだと熱くなり過ぎてしまうことも。こうなると動いてもらいたい相手や地域は余計に考えを曲げれなくなります。そもそもそのような時点で周りが見えてくなっているでしょうけども。

とはいえ、あいつはああだのこうだの色々な吹込みにと脅しにあったこともあります。「調子に乗るなよ。痛い目に合わせるぞ」と。その人の気持ちをくみせず私が意見を言ってしまったことに起因することであり、それについて謝罪しました。

ただ、どうしても価値観が合わない。そういう人もいます。そんなときは近くに寄らない、離れる。そのようにしています。無駄な競いは私の最も嫌いなこと。それはどこにでもあるごくごく一部の出来事であり、もしその割合が地域に多い場合、私はそこには居ませんが。

御手洗はそのような意味で他の地方の参考にはならないかもしれませんが人を受け入れる地域というのはこれからも発展していくように思います。

地方活動は面倒?それとも?

と地域では色々ごちゃごちゃやっています(笑)

どうですか?面倒くさいでしょうか?

確かにそのようなときもあります。それが普通です。人はそれぞれ違うから簡単に一緒になったりまとまったりすることは難しいです。もっと連携すべき、繋がった方が良いと言われることもありますが、そうではなく、どの部分を連携し、どの部分を独自にいくかをしっかり探り、見極め、まずは点同士(ポイント)のみを繋いでいくことを考えるべきだと思います。

それができる地域はなかなかないかもしれません。しかし裏を返せば、それさえできれば他よりも抜きん出ることができます。それをどう考えるか?

御手洗は25年間住民が主体となってまちづくり組織を運営し磨いてきました。私はその中にいる一人に過ぎませんが、年月をかけて様々な活動を行い、困難を乗り越えてきました。だからこそとても可能性を感じています。

私はこれからもずっとよそ者として御手洗の町をリスペクトし、地域の人達と仲間達と共にアクションを起こしていこうと思っています。

自分のビジネスをつくるとしたら

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。

3月1日(日)から”よーそろ商い塾”をはじめますが、以前の投稿で商い塾をはじめる3つの理由について書きました。

➀世の中にビジネス(商い)マインドをもつ個人・事業者を増やしたい
➁御手洗のまだまだ埋もれた魅力、資源を発掘する人材がほしい
➂私自身がやってきたことの見つめ直し、気づきを得るため

前回は➀のことについて書きました。私が望まなくてもその方向に進んでいくように思います。ただやるかやらないか、これからは動く人と動かない人、主体的に考える人とそうでない人が遭遇するチャンスの差は益々広がっていくことでしょう。

今回は➁と➂について触れていきたいと思いますが、タイトルに書いた「自分のビジネスをつくるとしたら」を考える上で、ニーズのある場所でこそより低リスクな挑戦ができると言えます。➁➂もまさに私たちのニーズ。

GUESTHOUSE醫 壁をはがす作業

自分のビジネスをつくるとしたら・・・

「自分で何かしたいんだけど本当に何がしたいのかわからない、何が向いているかわからない」

そんな声をよく聞きます。

正直、私もわかりません。

ただ目の前にある面白そうなこと、やってみようと思うことをやります。何かなんてわかりません。ただ、それをすることによりどう成りたいのか、何を残したいのかはあります。そのためにやると決めました。

ビジネス、商いは目的ではなく、手段

目的でなく手段。だから実は何でもいいんじゃないんでしょうかと私は思っています。もちろん今会社に属していて窮屈さを感じている人も、もっとその場所で自分の力は発揮できると思いますし、目指す自分になれると思います。ただ環境を、目線を変えたい。

もしワクワクすることがあればとりあえずやってみることをお勧めします。

私も7年勤めていた建材メーカーの営業マンをそんな思いで辞めましたが、今思えば居ながらにしてもできたことは山のようにあったと振り返ります。もちろん全く後悔はしていませんが。

リスクを大きく取らずとも違う環境に身を置き目線を変えることはできます。そして地方こそそのような環境に最も適していると私は思っています。

そして停滞気味のところではなく、これから昇っていくところがベスト。やっぱり御手洗でしょう!(笑)

御手洗は江戸時代今の10倍近い人口であり、瀬戸内海でも一二を争う物資が集まる商売の町でした。昭和になっても多くの家が屋号を持ちお店を営み、映画館や銭湯も2つ、裁判所、登記所までこの小さな町にあったんです。それが極限にまで減りました。そう、これ以上下がらないから昇るしかないんです(笑)

よーそろ商い塾では、課題をビジネスに変えるローカルビジネス、自分の商い・ビジネスを持つということにフォーカスした学びの場をつくっていきたいと思っているのですが、実践編もやっていきたいと考えています。議論の中で、出来そうなことについてどんどん提案もしていきます。学んだことあれば御手洗以外の活動したい場所でどしどし実践してみてください。

私の思う課題、ニーズについて

私は今まで仲間と共に大崎下島御手洗地区で7つの空き家を改修し小さいながらも30個ほどの事業やプロジェクトをつくって参りました。

しかしながら様々な理由で終えたもの、ストップしているものもあります。天候や世の中のニュースによる心理的冷え込みなど色々な要因で浮き沈みする水もののような観光事業にチャレンジしているので、少ないスタッフ人数でお客さんの少ないときをどうしのぎ、多い時に販売機会を失わぬよういかに踏み込むか、効率も図りながら運営するやり方でやってきました。

やはり課題は”人”。資源はあり、販売チャネルはあり、仕組みもつくったのですが人がいない為優先順位的にストップしているものがあります。

シーカヤックやフライド豆腐屋、自転車タクシーなどもそうです。

また昨年からシェアハウス”港町長屋染初(そめはつ)”内で稼働させている菓子製造、食品製造の加工場でつくる商品やCNC(図案をデータ化し、木材を切り抜いたり彫ったりする工作機械)を置いているDIYルームでの、家具、インテリア、雑貨などのものづくり事業もこれから広げていきたいと思っています。

御手洗という文化、歴史、柑橘などここにあるものを活かし、その人にしかできない事業づくりをどしどし進めていきたいと思っています。

強みを活かし、弱みを補い合うチームの中で

一人ではじめるのは大変かもしれません。私たちはチームとして事業づくりにチャレンジしており、まちとのパイプ役、WEB担当、デザイナー、各店主が持っているノウハウや技術などの強みを活かし弱みを補い合い、事業磨きとそれぞれの成長に繋げようと奮闘しております。

道具も場所もあるのでゼロからはじめるよりも圧倒的にはじめやすいと言えます。二拠点居住するシェアハウス(光熱費込み26,000円/月)も空きが出たので週末起業、ものづくり拠点としても使えるかもしれません。(これに関しては早いもの勝ちですが)

私たちが持っていない強みを持っている人ほど、相互に作用し自己の成長と全体としての成長、結果としてまちの魅力アップに繋がります。

それはある程度の技術と経験をもっていないといけないのでは?と思われるかもしれませんが決してそうではありません。

どちらかというと素人がいいんです。情報は山のように転がっています。どのようなものがお客さんを喜ばせるんだろうという探究心とそれに合わせられる柔軟性があれば。なのでむしろ素人の方がいい。究極の素人募集中!

かく言う私も今がどうだということは置いておいて、カフェもしたことはありませんでしたし、鍋焼きうどん屋もゲストハウスもしたことはありませんでした。持っているのは、やりながら変えていける柔軟性とアップデートしながらいいものをつくっていくという覚悟だけ。2名で1泊8万円以上する一組限定宿もはじめること実はすごく怖かったんです。でもここにある歴史ある建物、2階からの風景、まちの雰囲気は特別なものであり、素晴らしい料理人がいる。きっとまた来たくなる価値をつくれると、つくっていくと決めました。

一組限定宿、閑月庵新豊。大き目のソファーから絵画を見るように目の前に広がる多島美から朝陽や満月を望むことができる。

まだまだ成長していかなくてはいけません。

そのために前向きで志ある皆さんと多くの気づきを得たいと思っています。

共に学びましょう!

よーそろ商い塾

船宿カフェ若長がテレビCMに。

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。

テレビCMにおたく出てたよ!とここ2,3日まちの人から声を掛けられます。JRおでかけネットおとなびのCMは今「呉市御手洗」で撮影したシーンになっています。インターネットの会員向けサイトの中で動画配信されますとお聞きしていたのでテレビで流れるとは思いませんでした。(といっても西日本だけ)

御手洗の古き良き町並みの中を伊藤蘭さんが御手洗をゆっくり旅するというCM。

御手洗に流れるゆったりとした時間と町の風情が心地よいナレーションでさらによく引き立てられています。さすがはプロの技。

私の御手洗での1号店「船宿カフェ若長」での撮影もあり、築200年の建物の2階から見える多島美の風景を眺めながら過ごすシーンもとっても良くて。

やはり素敵な場所だなと改めて思うわたくしです(笑)

CMといえばこちらも広島県限定?だと思うのですが、もみじ饅頭製造大手にしき堂さんのCMにも若長はちらっと登場しています(最後の方にちろっと)のでこちらもご紹介。

まちの良さをゆったりのんびり味わって頂けると嬉しいです。

いい旅は人生のエネルギーですね。

よーそろ商い塾はじめます。

皆さまこんにちは。よーそろの井上明です。
3月1日から御手洗で”よーそろ商い塾”はじめます!

”よーそろ商い塾”イベントページ

「商い(あきない)」の語源は所説あるようですが米などの農産物や織物などの交換が秋に行われたので「秋なふ」「秋なう」・・「商う」になったといわれています。元々はお互いに足りないものを補い合う物々交換であり、どちらかが上とか下とかではなく、お互いに喜びを交換する行為であると言えます。

商い塾をはじめる3つの理由

この度なぜ商い塾をスタートするのか。理由は3つあります。
➀世の中にビジネス(商い)マインドをもつ個人・事業者を増やしたい
➁御手洗のまだまだ埋もれた魅力、資源を発掘する人材がほしい
➂私自身がやってきたことの見つめ直し、気づきを得るため

今回は➀に関して書いていきたいと思います。
先に書いたように商うことは良き感謝の交換をするものであることを伝えていきたいと思っています。提供者も受け取り手もこれで当然、当たり前ではなく、感謝し合える交換を。もっと喜んでもらうためにどうするかを考え、より深くその良さと喜びを味わうためにどう受け取るか。

世の中は自由だ、もっと自分らしく、もっと自分に素直に・・という文言が踊る昨今ですが、私は少し違和感を感じることがあります。昭和の人間だからでしょうか(笑)
確かに相手のことばかり考えすぎて自分を犠牲にし辛い思いをする行き過ぎた考えから脱するための大きな揺り戻しを狙う言葉だと思います。自分が楽しまなきゃ相手を楽しませることもできないし自分がワクワクしてなくては相手もワクワクさせることはできないでしょう。
それはその人の生き方によるかもしれません。場所を選べばなんだってできます。どのようにでも生きることができます。
認められなくてもいい、ひたすらにこれをやり切って死ぬんだというのも尊敬する素晴らしい生き方です。
なんでもっと自分が気持ちいいだけじゃダメなの? それもいいと思います。
ただ、私の場合は自分の大切な人が気持ちいいと思うことが私の気持ち良さになります。相手に合わせすぎず、自分の譲れない軸は持ちつつも何を駆使して喜んでもらうか。

日本人は狭いコミュニティーの中でいい時も悪い時も様々なことをシェアしながら生きてきました。その場所で長く続けていくためには顧客という相手とその周りまでも想像し喜んでもらわなければ続きません。歴史を振り返っても、御手洗にある石の燈籠の寄進や祭り・文化的な催しなどを外から来た遊女屋をはじめ商売人が多く出資していることからもわかります。
近江商人の言う「売り手良し、買い手良し、世間良し」の三方良しがまさにそれだと思います。

御手洗にある高燈籠 金子忠左衛門寄進

言いたいことは、商いを通じて売り手、買い手、世間の立場を行き来しながら感謝の授受ができれば、どこからも引っ張りだこだということです。
何をしても成功するでしょう。
どんな変化にも対応できるでしょう。
全てにおいて楽しく人生を送れるでしょう。

商いマインドを少しでも多く人と学び合い、その実践者が増えるならばもっと明るく楽しい社会になると思っています。
事業を目指す人だけでなく、大きな会社や組織に属する人も「自分良し、お客さん良し、会社良し、世間良し」はつくれます。もしそれを実践したとき会社はあなたを離せなくなりますが(笑)
しかしながら、思い込みや周りの環境の変化によっても主観や感情が動き、それぞれ良しの本質がずれることもあります。そうなるときは失敗します。

私自身はっきり言ってできていない部分が多いです。
だからこそ、アウトプットしながら自分を見つめ直し成長していきたいと思うのです。
私が狭い御手洗地区で仲間とともに実践してきたことを伝えつつ、御手洗の町で商いをつくってきた先人たちがやってきたことも学びつつ、新しい方向をみつめる時間にできればと考えています。

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それでは、よーそろー。

観光によるまちづくりって何ですか?

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。
呉市内の高校生から県外の観光学を学ぶ大学に進学したく話を聞きたいと電話があり、一昨日若長を訪ねてきてくれました。

とても礼儀正しく明るくて素直そうな女子高生。
突撃するのにも勇気がいったことでしょう。

これから大学に行き学んでいく糧にしたいとのことで、ノートにまとめてきた質問事項をもとに話をすることに。
いくつか質問に答える中で、これからのまちに大切なもの、必要と思うことは何ですかいう話になりました。

大切なのは主体性とゴールイメージ。
観光振興はあくまで手段であり、自らが責任を持ちそれによってどうなるかのゴールを描きそれに向かって動くこと。
御手洗のまちも様々な考えがあり、あくまで私と私の価値観や方向性が近い人達の考えるゴールについて考えを話しました。

続いてきた風情と独自の文化を引き継ぎながら発展する暮らして良かったと思えるまちに。
京都でもなく、宮島でもなく、尾道でもなく。
どこそこのように人が通れないほどの観光客がわんさか来て賑わってほしいなど、私は思っておらず、まちの風情と文化、景観やその思いを大切に受け取ってくれる人に来てもらえさえすればよいと思っています。
それはとても横柄な言い方かもしれませんが、私はそれ以上に御手洗が築いてきたもの、残してもらっているものに感動し、尊重しているがゆえに、それらの価値と思いをちゃんと受け取り共感してくれる人をどれだけ探せるかの挑戦とその表現磨きをしたいのです。
あるものの見せ方を少し変え、サービスを提供し”来てよかった”、”また来たい”をつくれるかどうか。
無料だから、人がいないからこれしかできないでは”また来たい”はつくれません。お互いの喜びを継続的につくるために、”商い”の視点”稼ぐ”視点が必要だと話しました。

更に商いの視点で言うならば、100人が100人全てが求めるお客さんではなく、誰に何を提供するのかの”誰に”を考えることがとても重要に思います。
というもの資源には限りがあり、全員が全員喜ぶものは提供できないからです。すべての人に合わせすぎるとありきたりなものになってしまいます。
なので、優先順位的にまずは持ちうるもので誰をどう喜ばせるか。それが出来たとき、良き循環の渦が今まで何とも思わなかった周りの人たちに少しずつ見えなかった価値を見せ、「よくわからないけど最近この場所がとても良く感じる」と思ってもらえるようになれば。
そのために愚直に探究心と表現力を磨いていきたいと思っています。

その高校生の彼女が行きたい場所はとても美しい町だそう。私もよく知っている場所。
呉市内の景観を残念がっていました。入船山記念館やアレイからすこじまのレンガ倉庫の雰囲気はとてもいいのにと。

私たちは彼女たちが帰ってきたくなるまちをつくっていけるのだろうか?
とにかく目立つ幟旗を立てればいい、とにかく目立つポスターを貼ればいい、とにかく人を呼ぶ宣伝をすればいい・・・それは本当に課題の本質を見ているのか、それは誰に対してのものなのか、その先に何があり、どのような未来があるのか。
予算がないからこれしかできない。多くの人にウケるならこれでいい・・・
それも当然考慮しなくてはいけない部分もありますが、数年後を見据え誰の心に刺さるものをつくっていくのだろうか?

連携できるものもあれば連携できないものもあります。料理と一緒。何と何を組み合わるか、それらを混ぜるタイミング(時期)によって不味くもなれば美味しくもなる。(2つではダメだがもう1つ加えれば3つともが活きることもある。)まとまらすか、尖らせるか、それもどこにゴールを持っていきたいかによります。そのゴールがどんなものなのか、何が美味しくて、何が美しいのか、ひたすらに情報収集と感性を磨かなくてはいけません。その感性は生まれ持ったものではなく、知識や経験がそれらを育むものだと思います。

友達はほとんど県外の大学に行くらしい。
様々な町、世界を見に行って、やっぱり帰りたいと思うかどうか私たちの感性磨きと主体的行動にかかっているように思います。
私も私の持ち場でしっかりやろう。

鍋焼きうどん尾収屋に”鍋焼きラーメン”現る!!

皆さんこんばんは。よーそろの井上明です。
今日から鍋焼きうどん尾収屋(潮待ち館内)で新商品”鍋焼きラーメン”が登場しました!!

尾収屋(潮待ち館内)で新登場の鍋焼きラーメン

元々鍋焼きうどんを始めたのは御手洗にサイクリストが増えてきて休日に気軽に食べれるお食事処がなかったことと、御手洗には停泊する船に行商船が七輪を積んで鍋焼きうどんを提供していたという物語があったためつくった店舗でした。

鍋焼きうどん尾収屋はよーそろメンバーで初代店主矢野智之(現GUESTHOUSE醫番頭、染初工場長)からバトンタッチした西平直枝さんが今の尾収屋を切り盛りをしています。
彼女は呉市内で60年製麺所を営む西平商店の若女将。のどごしの良い呉名物「細うどん」や蕎麦、呉冷麺など地場で長らく愛されるこだわりの麺を多数つくっています。また、彼女の味のセンスに加えアレンジ力の素晴らしさに惚れ、尾収屋を任せたいと話をしたところからスタートしています。
直枝さんが自家製麺で独自に表現する商品(作品)とその人柄に多くのファンがつき、今日もFacebookページの新作「鍋焼きラーメン」の投稿を見て雨の中わざわざ来てくださったお客さんも何人かいらっしゃいました。

もちろん西平商店でつくる自家製の中華麺。鯛出汁のスープに合わせるどこか懐かしく優しいラーメンは鯛出汁とレモンのさっぱり感がとてもよく合い、また食べたいと思わせる味でした。

昭和のアルミ鍋にどっぷり浸かり、直枝さんの世界観をどうぞお楽しみください~(笑)
日曜、祝日、潮待ち館にて鍋焼きラーメンを提供中(数量限定)。


ここにしかない物語を活かし、その人にしかできない表現をする店舗が1軒また1軒増えるとどこにもない魅力的な町になると思っています。

※平日も尾収屋の鍋焼きうどんが食べられるようになりました。こちらも今のところ数量限定でのスタートです。

事業づくり、挑戦は私の冒険

皆さんこんにちは。よーそろ代表の井上明です。
御手洗地区で様々な事業づくりや新しい地域活動に挑戦しておりますが、今日は私の話を少し。

私は広島市でも北の方に位置する安佐北区出身という田舎育ちなのですが、公務員の父と専業主婦の母が建ててくれた家は昭和時代を象徴するような団地の中にありました。
近所付き合いも多く似たような世代が住んでいた地区だったので、いつも遊ぶために友達を集めに家々を回り歩き。やれ今日は川遊びするだの、山に入るだの、ボール遊びするだの自分たちでどう楽しむか遊びを日々考え過ごした少年時代でした。

何よりも川遊びが好きで網を片手にひたすら魚を追いかけ上流を目指す冒険のような遊びに夢中になりました。
ときに見たこともない魚に出くわしたり、大きな毛ガニを捕まえたり、亀やオオサンショウウオにも出会いました。

中学生になる前にいつも行っていた川の土手が整備され、魚の影がなくなりました。
それから間もなく中学生になりいよいよ川へ遊びにいくこともなくなりました。

父が公務員だったこともあり、漠然と公務員になって安定した給料で淡々とした日々の中に楽しみを見つけようと思い描いていた大学生活突入でしたが、ある人物との出会いによりそれが思わぬ方向に向かうことになります。(公務員の皆さんごめんなさい。。当時の私の浅いイメージでして・・)
その人物は父と兄の中間くらい15歳年上の焼き鳥屋のマスターなのですが、大手企業の営業マンを脱サラし焼き鳥屋を開業していました。その場所がある目の前のアパートに引っ越してきた初日にバイトに来ないかと誘われ、結果4年間鍛えられることに。
その中で様々なことに感化され、どうしても自分自身の殻を破りたいとヒッチハイクの旅にも出かけました。ちょうどその時出会った本が植村直己の”冒険”。「(意)欲がなくなると人間ではなくなる」このフレーズが当時の私に響き、今でも私の座右の銘の一つに”人生は冒険”があります。

川遊びをしたワクワクする冒険を今も御手洗でしています。
少年期を過ごした昭和時代の良きご近所との距離感、関係性を残し、もう10年近くこの御手洗で活動していながらも今まで知らなかった100年、200年前の物語にふと出会うことがあります。

改装中に出会ったもの

空き家にしろ、メニューにしろ、それらを拾い上げ、磨き、受け取ってもえる形に表現し、自分が思った以上に喜んでもらえたとき・・・アドレナリンが出まくります。
何と申しましょうか、川で未知の生物に遭遇したような感覚。
何の気なしにそこにあるものがお客さんの心を揺さぶり、価値を帯びる。それを仲介した私など存在がなくなる瞬間なのですが、それが最高に嬉しい。
私が死んだ後、100年経って私のことなんか誰も覚えていなくても、「何故かしら300年、400年続いているこれって価値があるよね」と言われるような繋ぎの1パーツになれたら、フフフと天国から喜んでいると思います。や、地獄で過去の罪を償っているか・・(笑)

御手洗にはまだまだ光が当たっていない素晴らしいものが沢山あります。
それらを拾い上げ、磨き表現する。往々にして私の主観も入ります。とういうか主観です。
ただ独りよがりでありながらも、どうやったらその人にもっと喜んでもらえるか本質を探しています。

御手洗は江戸時代から雅楽会が続いている。
閑月庵新豊2階から見る多島美

もちろんいいことばかりではありません。
毎度毎度壁にぶつかり乗り越えたり打ちのめされたり。
狭い地域で人によって当然方向性や価値観の違いもあります。
あいつには気を付けた方がいいとか、いいように使われんさんなとか、まあいろんなことも言われます。
そんなことも冒険と考えると次に出会うものが楽しみになります。 と自分に言い聞かせている?? 
まぁ悪いことは寝たら忘れるのでその鈍感力が私の一番の強みかもしれませんが(笑)

まだまだ足りぬことばかりで、失敗を繰り返す日々ですが、この冒険記も見てくれる皆さんと共につくっていけたらと思っています。
明日はまた何に出会うのでしょう。

”はじめる”のハードルを下げる

皆さんこんにちは。よーそろ代表の井上明です。
今日は”はじめる”ということにスポットをあてて書いていきたいと思います。

2011年、築約200年の船宿を改修した1号店”船宿カフェ若長”を皮切りに、今まで7つの空き家を改修し様々な事業をつくってきました。
カフェにせよギャラリーにせよゲストハウス、鍋焼きうどん屋にせよ当然私は今までやったことのない事業ばかりです。
どのような心持でスタートを切り、オープンまでもっていくのか。
「はじめるのハードルを下げる」ポイントをご紹介します。

1号店船宿カフェ若長2階の座敷より

はじめるのってやはり勇気がいります。覚悟がいります。
自分の成長には勇気がいるのかもしれません。

私が建材メーカーの営業マンを辞めて自分で事業をしようとしていたとき、お世話になった不動産の社長にこう言われました。
「井上君、最悪の状況だけしっかり把握しておきなさい。それさえ押さえておけばあとはどんどんチャレンジしていけばいい」と。
今も常にそのことは意識しながらやっていますが、未知のものをはじめるときはときはとにかく小さくはじめ大きく育てることが鉄則です。

そしてはじめるに当たって、色々なマイナス情報が頭をよぎることもあります。
本当にお客さんが来てくれるんだろうか?喜んでくれるんだろうか? 
確かに不安になることもありますが、そこは振り払って前のめりに、お客さんに来てもらえるよう、喜んでもらえるようやるしかありません。
はじめから100%の完成を求めるといつまで経ってもはじめることができません。

私が意識すること、それは「完成度60%でスタートする」ことです。
完成度100%をはじめに求めても無理です。そもそも世の中の流行りもお客さんの嗜好も仕入れる素材も常に変わり続けるのでひたすらにアップデートし続けるしかなく100%の完成形になることは一生無いと言っても過言ではないかもしれません。今が100%だというのであれば、あとは下降するしかありませんよね(笑)

なので少々未完成くらいではじめるのがちょうどいいかもしれません。それよりもそれからのアップデートの方が重要に思います。
喜んでもらえるために今まのままでいいんだろうか?他はどのような事例とやり方をしているのだろうか?常に情報収集を行い、改善を繰り返す。

こんな状態で!?ですが、なんとか着地します(笑)

GUESTHOUSE醫オープン前

と考えると、わたくし、まだまだやらねばならぬことが沢山あります。。
あ~至らぬところ多くてすみません。。大目に見てください(笑)

ということで、”はじめるのハードルを下げる”ポイント「最悪の状況を知る」、「完成度60%でスタートする」をご紹介しました。
以前の講演「失敗をしない失敗の仕方とは?」でも少し触れていますのでこちらも参考までに。

前編 https://youtu.be/uP2Lo5m5jw8
後編 https://youtu.be/XxsIYFlB_bI

御手洗天満宮は梅の花が沢山咲いています。
春ははじめるのに良い季節です。
さぁ、はじめよう! よーそろー