ウィンタージャンプ2023 足長フォトコンテスト開催決定!

お久しぶりです。YUMIです。

4年ぶりの開催です!「ウィンタージャンプ2023!」

12/10のTV放送【広島テレビ】三四郎のDearボス 第238回 12月10日(日)夕方4時55分放送!に、足長看板が写り、三四郎さんもジャンプされました。

放送の予告

これを記念して開催することになりました。

皆様、バシバシジャンプして、バシバシ投稿しちゃってください!応募お待ちしています! 応募方法の詳細は下記を参照してくださいね~

【【応募方法詳細】】

★御手洗地区ではおなじみの「足長小学生」看板の前でジャンプ写真を撮ってくださいませ。(看板は大東寺より奥、満舟寺の下にあります。)

★ 投稿写真は未発表のもののみ有効とします。

★その写真をすぐさまSNS(Instagram、X(Twitter))にハッシュタグを付けて投稿するだけの簡単エントリー!
ハッシュタグは「#御手洗地区」「#足長小学生」の二つを付けてね。
投稿をスタッフが検索して探し出せない事があります。投稿は必ず「公開」設定で行い、ハッシュタグを二つ付けて下さいね~。

★応募期間は2月29日まで。(応募期間中に投稿されたもののみ有効)

【【優秀作品】】

★足長賞3点を選ばせていただきます。選ばれた方にはなんと!足長小学生缶バッチ(足長スポーツオリジナルグッヅ)をプレゼント。

★さらに優秀賞の方には柑橘10キロをプレセント

なお、当選の連絡はDMにて行います。

【御手洗歴史探訪】江戸時代の代埋め立て地?御手洗地区の小路を探せ!ブラヨーソロ編

大崎下島御手洗地区の歴史を探る

古地図を頼りに御手洗を散策しました。
持ち歩いた古地図はこちら。

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*1 宝暦9年御手洗焼失の図 広島県史 近世 より

1759年に御手洗地区で大火事があり、その時に焼失した家屋を記録した地図「宝暦9年御手洗焼失の図」*1 です。
大火事の件は別で考察するとして、こちらの地図には当時の御手洗地区の区割りや町名、小路の名称などが記載されていました。
そこで、この小路が今でも存在するのか探検してみよう!ということで
「ブラヨーソロ」と称してw Youtubeチャンネル撮影兼ねて出かけました。

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地図を頼りに探検

まず先に押さえておかなければいけないのは、御手洗地区は1666年以降人が徐々に移り住み、人口増加に伴い海岸を埋め立てて広げていった町であるというところです。
先に添付した「宝暦9年御手洗焼失の図」の御手洗地区と今の御手洗地区の地図はどう見ても異なります。
1700年代中頃までの地図はこちら↓

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18世紀初頭の御手洗地区 豊町史より作成

なんと、よーそろ系列店の船宿カフェ若長がある住吉地区は影も形もございません。完全海の中ですw
この地図で見るところの弁天町から突き出た岬の蛭子町まで通りが1本ありその脇に民家が立ち並ぶという簡素なものです。
それが数十年の間に以下の図のようになります。

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18世紀中期~19世紀の御手洗地区 埋め立てが進み町が増えているのがわかる

常盤町や住吉地区ができたのもこの時期のようです。
そんな訳で、今回の18世紀中旬の地図では若長付近は出てきません。

では、改めて、小路巡りに行ってみましょう。
全編は動画を見て頂くことにして、抜粋して紹介します。

最初は弁天町から天満神社へ続く本通りから海へ続く「横屋小路」

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横屋小路 埋め立てに伴い海岸線が変わるたびに小路も折れ曲がっている

天満神社の横にあったと思われる梅屋小路

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今はもう駐車場になっていて小路は残っていない

途中の四ツ辻(交差点)

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今でいうところの大通りの交差点と思われる地点
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曖昧な個所も当然ある・・・
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櫻小路にあるさくら湯の跡

御手洗地区に行ったことがある人も、これから行ってみようと思う人も少し歴史を知ったうえでお出かけするとより楽しると思います。
ぜひよーそろの御手洗チャンネルの歴史編解説動画を見てお出かけしてみください

本編動画はこちら

#やってみた
#御手洗地区

2023年のはじまり

年が明けて半月もたってしまった。

あ、みなさまこんにちはゆみです。

船宿Cafe若長・GUESTHOUSE醫の柑橘バーはお正月から元気に営業開始しております。

今年も、皆様に御手洗地区を楽しんでいただけるようにアップデートしながら色々なサービスをご提供していきます。

よろしくお願いします。

GWよーそろ系列店の営業予定

 

皆様こんにちは。すっかり暖かくゴキゲンな天候になってきました。

心置きなくお出かけするにはしばらくかかりそうですが、よーそろの御手洗地区店舗はGWも元気に営業いたします。

もちろん、感染対策はぬかりなく、皆様を安心してお迎えできるよう整えております。

各店舗の営業日などお知らせいたします。

ご確認いただき、どうぞお気をつけてお越しくださいませ。

 

よーそろ堂ショップカードできました

皆様こんにちは、こんばんは。由美で~す。

黄金瓶詰シリーズ他を販売中のWebショップ【よーそろ堂】はもうご覧いただきましたでしょうか?
黄金瓶詰シリーズはWebショップ他、もちろん御手洗地区のよーそろ系列の各店舗でご購入いただけます♪♪

で、その黄金瓶詰シリーズやレモンタルトのご紹介パンフレットできました~!

安定の小林デザインでござりますれば、今にも柑橘の香りが漂いそうな黄金の島カラーな出来栄えでございます。
コンパクトなA5サイズ三つ折りで、手に取りやすさ抜群!お客様に負担のかからないサイズ感にこだわりました😆
見開きはもちろん工場長のアップ写真から始まります♡ほら、作ってる人の顔が見えるって良いですよね?ね?
工場長の他、パティシエあやちゃんも見放題ですょ。
webご利用の際、また、店舗にお立ち寄りの際にはぜひお手に取ってご覧くださいませ!

クラウドファンディング終了 御礼

みなさまこんにちは。よーそろ中の人ゆみです。
先日の23:59をもちまして、よーそろのクラウドファンディングが終了致しました。
40日ほどの実施で、 2,250,500円のご支援を頂きました。目標の250万円には少し届きませんでしたが、135名というたくさんの方々がご支援くださいました。
よーそろメンバー一同、心より感謝申し上げます。
心温まるメッセージも多数頂いており、お金以上に、皆様のよーそろへの思いも頂いたと感じております。
コロナ禍という厳しい状況ではありますが、頂いた思いを受け、歩みを止めることなく、より一層邁進していく所存でございます。
これより、リターン等の準備に入ります。お届けまで今しばらくお待ちくださいませ。
皆様、ほんとうにありがとうございました。
これからもよーそろをよろしくお願い致します。
まずはとりいそぎお礼まで。

2か月半でつくったゲストハウス奮闘記

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。
宿泊予約入らず、キャンセル相次ぎ、事業の核としていた宿事業も壊滅的な状況ですが、今はがまんがまん。再整備、仕込みなどできることをブレずにやるしかないと動く毎日です。

この機会に今までやってきた事業を振り返り次につなげていきたいと思っています。
さて、今日は築100年を超える洋館であり、元病院だった空き家を片付けから2か月半でオープンしたGUESTHOUSE醫について書いていこうと思います。

外国人も泊まれる宿をつくる!

なぜ宿事業をしようと思ったのか、以前の記事でも書きました。

https://yosoro.com/blog/wp/wp-admin/post.php?post=289&action=edit

3つの宿事業のうち、1つ目に外国人観光客を想定した低価格宿をつくろうと計画していました。
御手洗の洋館の中でもシンボル的な建物であった旧越智醫院のオーナーの先生がこれからの活用を模索しているという情報をキャッチし、ここならば外国人も日本人もきっと喜ぶと思い、オーナーの先生にお話しに行きました。

この建物は、2006年に公開された原田昌樹監督の映画「旅の贈り物0:00発」の舞台にもなっており、この場所で歌手の徳永英明さんが越智太一先生役で出演されています。
また、アニメ映画「ももへの手紙」や最近ではサントリー「オランジーナ」のCMでバイきんぐの小峠さんが駐在員役の交番にもなった建物です。

オーナーの越智先生はとても気さくな先生で、快く診察後の時間を空けてくださいました。
私がなぜ宿をしようと思うのか、この建物をどのようにリノベーションしどんな価値を伝えようとしているのかお話をしました。
越智先生は私たちの今までの活動を見ていてくださり「地域のためになり活用されるなら」と建物を貸して頂けることになりました。

片づけスタートから2か月半でオープンへ

御手洗の隣の集落大長に今は越智医院さんはありますが、10年ちょっと前までは決まった曜日で出張診察もされていたそうですが、荷物はそのままありました。
片づけをスタートしたのは1月16日。呉市の島の賑わい助成事業があり、取れるか取れないかは別として、取れた場合は3月末までのオープンが条件でした。やるしかない!2か月半で改装し、営業許可を取り、オープンする。
オープン日を3月28日に決めました。(この日は私にとって何かをはじめるのにとても良い日だったので)

まずは片づけから。いらないものといるものに分け、どんどん運び出しました。このゲストハウス醫は御手洗空き家改修5号店で、それまでの古い道具や古材をストックしておく大きな倉庫も借りていたので、とりあえずそちらへ急いでものを運んでいきました。でっかい2階にあった昔のピアノも地元豊運送さんにお願いし、窓を外しリフトで下す力技で何とか運び出しました。

構造もしっかりしている建物だったので、内装を整える作業で済みました。風呂も小さいながらタイルは一枚もはがれていなかったので、ドアは換え、脱衣所をつくるくらいにしてそのままを利用することにしました。
主な作業は、はがれている壁を削り、塗り直す作業。壁・床・天井をはがして磨く作業、またそれらを整える作業が中心です。

というのも築100年超えの過程でリフォームも何度か行われており、壁には現代的なプリントべニア、天井材、床はクッションフロアが貼られていました。なるべく建築当初使われていた風情を出したかったので、限られた時間で、どうなるかわからない、何が出てくるかわからない中で、ひたすらにはがす作業をしていきました。

インターンシップでちょうど2週間近く住み込みで手伝ってくれた筑波大学のゆなちゃんや千葉のおもてなしラボの鳥海さんにもお世話になりました(無理やり(笑))。広島大学生たちも壁剥がしに来てくれました。
その他沢山の仲間達のヘルプにより改装は進んでいきました。おかげさまです。

想定外は当たり前

下駄箱を取っ払うとその奥に昔の下駄箱が出てきたり、新しい上がり框を取っ払うと、昔の上がり框が出来てきたり、そんなことではビックリしません。面白いのが出てきた!というものもあれば、薄い壁をはがすとその先は青空だったり、床をはがすと大きな穴が開いていたり…。その度に「どうやろう」「どう乗り越えよう」と考える毎日でした。おかげでごまかし方も上手になりました(笑)

想定外と言えば、玄関ドア。昭和の重たいアルミ引き戸は換えたいと思っていました。新調するのには10万円以上はかかるし、新しいといい雰囲気がでないと悩んでいました。

そんな時奇跡が起こりました。

御手洗にはいつもうちのリノベーションでお願いしているプロの若い大工さんがいらっしゃいます。私たちのDIYも難しいところはプロに任せます。
その大工さんは私の趣向をよく知っているのですが、改装していてある日「井上さんが好きそうなのが出てきた!」と連絡をくれました。

それは御手洗で使っていた昔の木の引き戸でした。処分してほしいというものだったのですがとても凝った建具で、なぜか高さもぴったり同じサイズ、まさに奇跡でした。
建具をつくるとなるとその大工さんにお願いするので、仕事を取ってしまう形になるのですが、そんなことは置いておいて力を貸してくれる素晴らしい大工さんなんです。

それが扉がこれ。

ほんとありがたい限りです。
その後夜な夜な壁の下地を整え、漆喰を塗り、床を塗り、ベッドをDIYし、私たちも初めてのDIY作業も多くこなしていきました。

想定外と言えばもう一つ。
御手洗でつくろうとしていたゲストハウスは、呉市で実は第一号のゲストハウスでした。しばらくそういったものは出来てなかったらしく、融資を受けるために低金利で借りれる条件として生活衛生同業組合への加入というものがありました。問い合わせてみると「当分新規は受けていない。これから事業をはじめるのであれば、はじめてからでないと加入はできない」と言われました。金融機関の担当者はそんなはずはないということでしたが、加入するのにもそれなりの費用がかかること、また順繰り事務局を務めなければいけないという煩わしさも垣間見えたので別の線で考えるように諦めました。

そんな折、調べると広島県に経営革新計画(何年間の事業計画書)を提出し認められれば割かし低い金利での融資が受けれることを見つけました。やるしかないので計画書を超特急でつくり、提出し無事に計画も認められ、融資も受けることができました。結果的に費用も抑えることができとてもラッキーな想定外でした。

また旅館業の簡易宿所の営業許可を取るのですが、保健所と消防の許可が必要になります。

風営法の説明を警察署で受けることが必須になっており、警察署で説明を受けた担当者のサインが入った書類を保健所に提出しなければいけない決まりがありました。

管轄の警察署に行くと「風営法の説明をどこからどこまで説明をすればいいんだ」「なんでサインをしなくてはいけないのか」と言われ、サインもらえないんですけどと保健所に掛け合い、どうしたらいいのかと担当者とも悩みました。ゲストハウス1号店なので皆さん初めてのことが多くて。

結局、警察署にもう一度お願いしに行きました。他の管轄に電話で聞いてくれて「あ、サインしていいのね!」とやり取りをしているのを聞きながら苦笑(笑) 仕方ない仕方ない。

築100年で実は3階建ての特殊な建築物だったので、消防の方も困らせました。3月28日までに許可を下すことは相当厳しいといわれながらも、私たちの挑戦の思いのたけを叫び、さらにはテレビ局が入り「3月28日にオープンします」とテレビで流れたことも相まって、色々知恵を貸してくださり何とか28日に許可を出してもらうに至りました。年度末の人事異動でバタバタされている最中、相当無理を言いました。すみませんでした。

3月28日は私にとってとてもいい日だったようなので、ゲストハウス醫のオープンと実はもう一つ、次なる宿事業物件であった新豊の売買契約日&登記の日もこの日に設定しており、自分で売買契約も不動産登記申請も全部やっていたので広島市内まで行って契約書を交わし、法務局へも走る走る。

消防の許可書をその日の16時50分に受け取り、保健所に17時に滑り込み許可書をもらい、閉店時間17時15分に法務局で登記完了するという秒刻みのスケジュールでして…17時20分以降しばらく抜け殻になりました(笑)

実はまだまだ想定外とトラブルはあったのですが、私の胸にそっとしまいまして…とにかく3月28日にゲストハウス醫は無事オープンするに至ったのでした。

沢山の協力者、支援者のおかげでオープンを迎える

それから営業しながらも改修の日々は続くことになるのですが。
色々な方々の多大なる協力のおかげでスタートを切ることができました。

診察所部分をBARにするためクラウドファンディングも行いました。多くの方にご支援いただき、おかげさまでこちらも整備することができました。

本当に沢山の方々のお力なくしてはスタートできなかった事業です。
ご支援、ご協力を頂いた皆さんと、泊まって頂き御手洗での思い出を刻む皆さんの足跡がこの場所に新しい物語をつくっています。
こちらもまだまだ改善点ありますがこの建物と一緒に成長していけたらと思っています。

それらの物語を味わいに、皆さんもぜひ泊りにおいでください。

全くの未経験でカフェをはじめた話。1号店”船宿カフェ若長”

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。

昨日”よーそろ商い塾”をスタートしました。今回はpart1「なぜ今ローカルビジネスなのか?」というタイトルでお話をさせて頂きました。何かをはじめたいと前向きな思いに触れて私も御手洗でのはじまりであり1号店の”船宿カフェ若長”を改めて思い返しました。
今日は全くの未経験、それまでしようとも思わなかったカフェをはじめたお話を改めて。

ボランティアガイド養成講座で出会った場所”御手洗”

私の出身は広島県広島市。南九州で建材メーカーの営業マンとして約7年勤めた会社を脱サラし、妻の実家である広島県呉市に帰ってきました。

これからしばらく居るであろう呉をもっと知りたいと思っていたところに呉市が主催する観光ボランティア養成講座をたまたま見つけ受講し、そこで御手洗に出会いました。

海軍工廠、潜水艦、戦艦大和…海軍でできた町、呉の中心部から車で1時間ほど走った瀬戸内海の真ん中に浮かぶ島に御手洗という町がありました。呉市内とはまた違った海の色の鮮やかさをもち、美しい島の風景と江戸、明治、大正、昭和の建物が並ぶタイムスリップしたような街並みに魅了されました。

空き家であろう家々の壁にも生きた花が生けられ、人はあまりすれ違わない静かな通りながら決して暗さは感じず、どことなく明るさと昔から続いている生活感を感じました。明治時代から変わらず続いているであろう古い波打ちガラス越しに時計を修理するお店、生活雑貨店、昭和の映画館や文房具屋、そこにある建物や置いてある道具などすべて年季の入ったものばかりでしたが、なぜかそのすべてが私にとってとても新鮮でした。たまにすれ違う住民は明るく挨拶をしてくれ、屈託なく受け入れてくれ町の歴史や場所などを教えてくれました。

知れば知るほど御手洗の歴史の奥深さに触れ、小さいころに経験したような人と人同士の距離感の近さになつかしさを覚え、ズルズルと御手洗の魅力にはまっていきました。当時は原付で1時間30分ほどかけて通っていました。さすがにお尻が痛かった。。(笑)

何かすればいいのにと言われ、カフェを開業する。

当時、呉市内で弁当の飛び込み営業(パート)をしながら、自分達の事業として夫婦でシニアパソコン教室を立ち上げていました。2010年春のこと。

日曜日は基本お休みなので、ガイドの予約が入ると御手洗まで原付で行き観光ボランティアガイドをしていました。半年くらいガイドをしたでしょうか。ガイドが終わり、ボランティアガイドの会長とフラフラと歩きながらしゃべっているときに「ここ何かすればいいのに」と言われた言葉を真に受けた私は三軒長屋の真ん中、宇和島藩・大洲藩指定の元船宿(藩の仲介問屋的役割をこなす)を務めていた若長(当時は無料の展示スペース?)をカフェにしました。

実は御手洗と出会い、ここは面白いと一人わくわくしていたときに、知り合いのツテでとある古い町並みが残る別の場所にインターンシップに行ったことがあります。そこで古民家を改修してカフェをすることになり、改修やお店の立ち上げを手伝わせてもらいました。そこには2週間ほどしかいなかったのですが、色々な事業を見せてもらう中で思ったことがありました。

「これ自分できるわ…」(笑)
それから御手洗でカフェをするための具体的実行に移りました。

カフェをつくった理由

といってもそれまではカフェの経験もなく、ましてやカフェをしようなんて思ったことはこれっぽちもなかった私でした。ただ御手洗をもっともっと知りたいと思い、また、外からくる人が喜んでくれる価値と可能性を御手洗に感じていました。

なぜカフェをしようと思ったのか、理由は3つありました。

当時閉めっぱなしであった雨戸を開けたとき、海と島の衝撃的な真っ青の世界が目の前に広がり、遠く行き交う船を眺めながら時間が止まっているかのような感覚に陥るすばらしい風景を皆さんに見せたかったことが1つ目の理由です。

2つ目の理由、それはガイドをしているとき当時、年配の方々をご案内することが多く、「ゆっくりしたい」「ゆっくり休むところはないの?」という要望をよく聞いていたことです。確かにそういわれてみればカフェはない。

3つ目の理由は、この島には明治時代からコクのある甘さをもつ大長みかん、国産レモンの始まりとされる大長レモンがあるにも関わらずそれらを味わう場所がありませんでした。

元々夏に雨があまり降らず温暖な瀬戸内海気候、石組みの段々畑がより一層水はけを良くし、海からの照り返し”第二の太陽”をたっぷり浴び、みかんづくりに最も適した古生層という土壌。美味しいに決まっています。

そのものが美味しいので、あまり手を加える必要もなく、”ここにあるもの”でメニューができると思いました。

インターンシップに行き「じぶんできるわ」と思ったのは、以上の3つの理由もあるのですが、実はもう一つ。あまり言うとあれかもしれませんが(笑)

「これでいいんだ」と思ったからでした(笑)
やってみてダメなら変えればいいじゃないかと。
今日からカレーをはじめるというトップダウン指令があったかと思えば、やや、バーガーをやるぞとなったり。ザザッとつくって貼った宣伝ポスターをテレビ局の人が見てこれはマズイ映せないとなったら剥がしてという風に(笑)
ロケットダッシュでオープンし、かなり柔軟にコロコロと変えていくやり方を見て、そうか!と。

考えれば考えるほど動きが小さくなってしまいます。
ああなったらどうしようか、こうなったらどうしようか、あれこれ考えず、エイヤーでやることをお勧めします。
この記事も連続で書いた後、何日間か空けました。色々立て込んでいたものありますが、実は書きすぎて迷走した記事が何日かありまして(笑)お恥ずかしい話6時間かけて書いた記事もボツにしました。
事業もそうですが、そういうこともしょっちゅうあります。せっかく時間をかけて時間をかけてつくったものをリリースの直前で捨てることも今まで何度もありました。とにかく考えすぎるとよくありません。

出そうと思って出さなかったものをもったいないからと言う理由で無理やり使うことに固執してしまうと目的を見失ってしまい、かえって無駄な時間を過ごしてしまいます。そういうときは一旦離れる。

ですが、迷走して書いたものは使い物にならないので結局捨てます。
ただその迷走した時間もまたスキルアップのための肥やしになってくれています。そのように思うようにしています。

つまるところ完成形はない。ババっとつくってひたすらアップデート

話を戻します。そうだ!と思ったこと。どういうことかというと、以前も書きましたが、結局のところ「完成形はない」ということです。だったらババっとつくってひたすらにアップデートし続けて完成形に近づけるしかないと。今となっては私にとってはじめることはあまり重要なことでなく、それからアップデートし続けることの方が重要でして。

船宿カフェ若長は基本的に土日祝日営業ですが、営業が終わる度に何かしら変えていました。
段差がもう5センチ高ければ上がるのが楽だと思えば段差をつくり、これを一時置く場所が欲しいと思えば棚を増やし、新メニューが他のメニューの足かせになれば、作り方を変えてみたり、新しい道具を導入してみたり。はたまたやめたり。
最近は落ち着きつつありますが、試した道具も数知れず、別の場所で使えるものもあれば、今見るたびに無言でうなずいてそっと見えないところに置くものもあります(笑) それも成長のための肥やし…ということで。

当然私一人でやっているわけではなく、スタッフからも多くのことを教えてもらいます。「ここがやりにくい」「これがあると便利」から「こうやってみたらとてもやりやすかった」など仲間の知恵が加わると自分が気づかなかったアップデートにも繋がりました。

そうして今の船宿カフェ若長があります。これからもまだまだアップデートしていくでしょう。

と、私の御手洗での事業スタートである若長を思い出しながら書いてみましたが、今回の商い塾でも何かをはじめたい人の後押しができたらと思っています。私もお話させて頂きながら、改めて思い出したことも沢山ありました。

これから何かをはじたいと願う皆さんと共に成長していけたらと思います。
次回のよーそろ商い塾part2は「ローカルビジネスのつくり方」というテーマです。3月8日日曜日13時から開催します!

ご参加はこちらのFacebookページのコメントかメッセージで参加の旨お伝えください。
https://www.facebook.com/events/610310633033637/

それでは、よーそろー。

地域活動で大切にしていること

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。

私は瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の御手洗地区へ来てもうじき10年になります。出身は広島県広島市安佐北区。元々御手洗には縁もゆかりもなく、まさか江戸時代の古民家をカフェをするなんて思ってもみませんでしたし、ゲストハウスやレストランやシェアハウスなどももってのほかで。

一方で、見知らぬ地域でなんか上手くやっとるねとか、バランス取りながらやっとるねとかお褒めの言葉?と捉えていいのでしょうか、そのように言われることも多々あります。

地域活動の中で大切にしていること

縁もゆかりもないこの御手洗という場所で私が商いをしながらどのようにやってきたか、地域活動する上で大切にしてきたことをお話します。

それは、地域とそこに住む人の風習、考え方を優先することです。

サーフィンなどのローカルスポーツと同じ。地元優先型。

当たり前のことなのですが、なかなかできません。なぜならばその土地の風習や、文化、その人の周りの過去など知らないからです。そして自分の意見を通そうと自分のスピードで、価値観で、突き進んでしまいがちです。かく言う私も何度も何度もやらかし謝りにいきました(笑)その土地の文化やリーダーの性格もありますが私の場合、何に気を付けて今までやってきたのかポイントを書いていきたいと思います。

私が常に意識している3つのポイント

常に意識しているポイントは3つ。

➀ちゃんと筋を通す。
➁正論を通さず寄り添い合わせる。
➂間違ったらすぐ謝りに行く。

➀について。ついつい話を通すべき人に話忘れたり、話す順番を間違えたりで機嫌を損ねてしまう。「わしゃ聞いとらん。協力せん!」となることはどこの地域でもよくあることと思います。それだけならまだしも一度のミスが長く尾を引き、あいつの言うことは全部反対するなんてことに。そんなこと…と思われるかもしれませんが、なによりもこれが1番大事です。や、これがすべてかもしれません。筋道を立て、必ず通すべき人に話を通す。しかも順番を間違えずに。

手当たり次第に言いまくればどこかから何か話がくるだろうといろんな人に同じお願いをしてしまうのもアウトです。「この人にお願いしたんですが」と筋道を立てればいいのですが、それをせずスピードが遅いからといってあちこちで進めすぎると信用を無くします。またはじめに話した人と、次に話をした人の仲が悪ければ完全に非協力者を増やすことになってしまいます。

私もうっかりやってしまったこと多々あります。まち全体でイベントをするときなど、団体の長、使う場所の長それぞれ違う場合があります。伝えとくわと言ってくれたことで任せすぎて実は話が通っておらず、「どういうことだ!とあの人が怒っているよ。」なんてこともありました。

➁について。地域の文化や関係性を無視して正論を通すのもダメです。地域の事情云々考えなければ、たいてい正しく、そうあるべきことが多いでしょう。しかし、人は感情の生き物であり、狭い地域でやっていること。こちらが真っ直ぐな正論を通す前に、地域の事情をよくよく聴いてダメな理由の本質を探ることが大切です。恐らく、答えはもっと手前にあり、あ、そんなことなのかと気づかされることが多いと思います。

あるとき、大学生から依頼を受けてお花見コンサートをすることになりました。私は窓口をしていたのですが、地域の皆さんとその場を楽しみたいということで自治会に話を持っていき声がけをしてもらいました。大変盛り上がり、観客である住民の方も一緒に歌ってくれて素敵なひとときを過ごしました。引率の先生方もいらっしゃる中、打ち上げをし来年もやりたいと余韻に浸りました。

がしかし、次の日「会長が昨日のような学生が来るコンサートはしないと言っとる。」と連絡がありました。住民のある人はお店にわざわざやってきて「井上さん、昨日はとってもよかったわ!御手洗で桜の下であんなコンサートしてくれるなんて。嬉しくて子供に電話したわ」と喜びの声も聴いていたのに。。

会長に連絡し、何か不手際があったことあればお詫びしたいので話をしたいとアポを取り1対1で話をしました。どういうことだったのかと。

会長「コンサートのあと打ち上げをしたじゃろ?学生がおったのに酒を飲んだんじゃないか?20歳にならん学生がおったら大変なことになる。そんなことするんならコンサートはできん」

なんと!?引率の先生がいたことを説明し、未成年飲酒は大学も当然認めないのでそれは大丈夫だと説明するも、歳をごまかして場の雰囲気で飲んでしまいもし後でわかって何かあってからでは困ると難しい表情を浮かべていました。

「あと打ち上げというのがいかん。反省会ならいい。」

私「なるほど確かに。ではこうしましょう。もし来年コンサートをするならば、それは良しとして、打ち上げは無し。やるとすれば反省会。そして20歳未満の学生が一人でもいればお酒は無しにしましょう。それだとどうですか?」

会長「それならいい」

今年もやりましょうと学生から連絡があり、そのお花見コンサートは今年で8回目を迎えます。丁寧に何が問題なのかを聴き、提案することが地域にも自分にも関わる人にもいいことになります。

➂について。➀➁での失敗、やらかしてしまったときは、わだかまりができる前に速攻で謝りに行くべしです。伝えていなかった、間違った誤解を与えてしまった、意図するところをくみ取れなかった、それは怒らせてしまった自分が悪いと誠意をもって伝えることが大事です。それを怠り時間が経つとそれ以上のイメージを膨らませてしまい修復に余計時間がかかることになります。ちゃんと自分のこの部分が間違っていたと伝えればわからない人はいないと思います。

私も幾度かやらかしました。その都度謝りに行きました。「あなたに一番に話をしなければいけなかったのに、このような意味ではなく変に伝わってしまいました。大変失礼なことをしました。」と。

私は営業マンをしていたサラリーマンの新人時代に出入り禁止を2度くらいました。新人で知識もなく、独特な南九州の方言の中でミスをし、もう二度と来るなと扉をバタンと閉められました。ミスをした私が悪いのは事実。電話をしても一切出てくれず、私はそれでも謝るために毎日通いました。居なければ名刺を置いて帰る毎日。2週間通ったでしょうか。突然ある日、「事務所に来い、発注したい」と。それから仕事がある度にすべて私に注文してくれるようになり辞めるまでとても良くしてくれました。もう一つの出入り禁止も通い詰め作戦で出入り禁止を解き、そこから深い関係を築くことができました。

そんな経験もあり、来るなと言われると行きたくなる私だからでしょうか(笑)けっして打たれ強いわけではないのですが、少々ではめげません(笑)思ったことをやり切る力とそこに合わせることができる価値観の柔軟性は地域活動においても、ビジネスにおいてもとても大切なことだと思います。もっといえばそのような時こそ関係性を深めるチャンスなのですが、そこで終わる人は多いかもしれません。あまりにも理不尽で価値観がどうして合わなければ当然そこまでする必要もありませんが。

御手洗がもつ”町の文化”とよそ者感覚

御手洗は江戸時代にできた町で沢山の商売人や移住者を受け入れてきた土地です。町割りが行われ町年寄が置かれた御手洗町でした。そして東京ドームよりも一回り大きい広さの町で(福岡ドームと同じくらいの面積)昭和10年の全国市町村別面積調では全国で6番目に小さな面積の町。

「御手洗に行くときはちゃんとしか格好していきんさい」と隣町ではいわれうような街だったと聞きます。どこ行くのか誰と行くのかあまり詮索もせず、あっさりしているところもあれば80歳を超える人同士でも○○ちゃん、○○くんと下の名前で呼び合う距離感が私にとってはとても新鮮であり居心地がいい場所でした。

そのような場所なので排他的なところはあまりなく、教えてくれる人もいきり立つこともなく優しく接してくれます。だから私はこの町でとことんやろうともがき続けるのだと思います。

また、私は完全によそ者なので、自分の価値観を押し付け押し通そうとすることはあまりないのでいいのかもしれません。これが地元の人だと自分はここで生まれた人間だからこうすべきだと熱くなり過ぎてしまうことも。こうなると動いてもらいたい相手や地域は余計に考えを曲げれなくなります。そもそもそのような時点で周りが見えてくなっているでしょうけども。

とはいえ、あいつはああだのこうだの色々な吹込みにと脅しにあったこともあります。「調子に乗るなよ。痛い目に合わせるぞ」と。その人の気持ちをくみせず私が意見を言ってしまったことに起因することであり、それについて謝罪しました。

ただ、どうしても価値観が合わない。そういう人もいます。そんなときは近くに寄らない、離れる。そのようにしています。無駄な競いは私の最も嫌いなこと。それはどこにでもあるごくごく一部の出来事であり、もしその割合が地域に多い場合、私はそこには居ませんが。

御手洗はそのような意味で他の地方の参考にはならないかもしれませんが人を受け入れる地域というのはこれからも発展していくように思います。

地方活動は面倒?それとも?

と地域では色々ごちゃごちゃやっています(笑)

どうですか?面倒くさいでしょうか?

確かにそのようなときもあります。それが普通です。人はそれぞれ違うから簡単に一緒になったりまとまったりすることは難しいです。もっと連携すべき、繋がった方が良いと言われることもありますが、そうではなく、どの部分を連携し、どの部分を独自にいくかをしっかり探り、見極め、まずは点同士(ポイント)のみを繋いでいくことを考えるべきだと思います。

それができる地域はなかなかないかもしれません。しかし裏を返せば、それさえできれば他よりも抜きん出ることができます。それをどう考えるか?

御手洗は25年間住民が主体となってまちづくり組織を運営し磨いてきました。私はその中にいる一人に過ぎませんが、年月をかけて様々な活動を行い、困難を乗り越えてきました。だからこそとても可能性を感じています。

私はこれからもずっとよそ者として御手洗の町をリスペクトし、地域の人達と仲間達と共にアクションを起こしていこうと思っています。

自分のビジネスをつくるとしたら

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。

3月1日(日)から”よーそろ商い塾”をはじめますが、以前の投稿で商い塾をはじめる3つの理由について書きました。

➀世の中にビジネス(商い)マインドをもつ個人・事業者を増やしたい
➁御手洗のまだまだ埋もれた魅力、資源を発掘する人材がほしい
➂私自身がやってきたことの見つめ直し、気づきを得るため

前回は➀のことについて書きました。私が望まなくてもその方向に進んでいくように思います。ただやるかやらないか、これからは動く人と動かない人、主体的に考える人とそうでない人が遭遇するチャンスの差は益々広がっていくことでしょう。

今回は➁と➂について触れていきたいと思いますが、タイトルに書いた「自分のビジネスをつくるとしたら」を考える上で、ニーズのある場所でこそより低リスクな挑戦ができると言えます。➁➂もまさに私たちのニーズ。

GUESTHOUSE醫 壁をはがす作業

自分のビジネスをつくるとしたら・・・

「自分で何かしたいんだけど本当に何がしたいのかわからない、何が向いているかわからない」

そんな声をよく聞きます。

正直、私もわかりません。

ただ目の前にある面白そうなこと、やってみようと思うことをやります。何かなんてわかりません。ただ、それをすることによりどう成りたいのか、何を残したいのかはあります。そのためにやると決めました。

ビジネス、商いは目的ではなく、手段

目的でなく手段。だから実は何でもいいんじゃないんでしょうかと私は思っています。もちろん今会社に属していて窮屈さを感じている人も、もっとその場所で自分の力は発揮できると思いますし、目指す自分になれると思います。ただ環境を、目線を変えたい。

もしワクワクすることがあればとりあえずやってみることをお勧めします。

私も7年勤めていた建材メーカーの営業マンをそんな思いで辞めましたが、今思えば居ながらにしてもできたことは山のようにあったと振り返ります。もちろん全く後悔はしていませんが。

リスクを大きく取らずとも違う環境に身を置き目線を変えることはできます。そして地方こそそのような環境に最も適していると私は思っています。

そして停滞気味のところではなく、これから昇っていくところがベスト。やっぱり御手洗でしょう!(笑)

御手洗は江戸時代今の10倍近い人口であり、瀬戸内海でも一二を争う物資が集まる商売の町でした。昭和になっても多くの家が屋号を持ちお店を営み、映画館や銭湯も2つ、裁判所、登記所までこの小さな町にあったんです。それが極限にまで減りました。そう、これ以上下がらないから昇るしかないんです(笑)

よーそろ商い塾では、課題をビジネスに変えるローカルビジネス、自分の商い・ビジネスを持つということにフォーカスした学びの場をつくっていきたいと思っているのですが、実践編もやっていきたいと考えています。議論の中で、出来そうなことについてどんどん提案もしていきます。学んだことあれば御手洗以外の活動したい場所でどしどし実践してみてください。

私の思う課題、ニーズについて

私は今まで仲間と共に大崎下島御手洗地区で7つの空き家を改修し小さいながらも30個ほどの事業やプロジェクトをつくって参りました。

しかしながら様々な理由で終えたもの、ストップしているものもあります。天候や世の中のニュースによる心理的冷え込みなど色々な要因で浮き沈みする水もののような観光事業にチャレンジしているので、少ないスタッフ人数でお客さんの少ないときをどうしのぎ、多い時に販売機会を失わぬよういかに踏み込むか、効率も図りながら運営するやり方でやってきました。

やはり課題は”人”。資源はあり、販売チャネルはあり、仕組みもつくったのですが人がいない為優先順位的にストップしているものがあります。

シーカヤックやフライド豆腐屋、自転車タクシーなどもそうです。

また昨年からシェアハウス”港町長屋染初(そめはつ)”内で稼働させている菓子製造、食品製造の加工場でつくる商品やCNC(図案をデータ化し、木材を切り抜いたり彫ったりする工作機械)を置いているDIYルームでの、家具、インテリア、雑貨などのものづくり事業もこれから広げていきたいと思っています。

御手洗という文化、歴史、柑橘などここにあるものを活かし、その人にしかできない事業づくりをどしどし進めていきたいと思っています。

強みを活かし、弱みを補い合うチームの中で

一人ではじめるのは大変かもしれません。私たちはチームとして事業づくりにチャレンジしており、まちとのパイプ役、WEB担当、デザイナー、各店主が持っているノウハウや技術などの強みを活かし弱みを補い合い、事業磨きとそれぞれの成長に繋げようと奮闘しております。

道具も場所もあるのでゼロからはじめるよりも圧倒的にはじめやすいと言えます。二拠点居住するシェアハウス(光熱費込み26,000円/月)も空きが出たので週末起業、ものづくり拠点としても使えるかもしれません。(これに関しては早いもの勝ちですが)

私たちが持っていない強みを持っている人ほど、相互に作用し自己の成長と全体としての成長、結果としてまちの魅力アップに繋がります。

それはある程度の技術と経験をもっていないといけないのでは?と思われるかもしれませんが決してそうではありません。

どちらかというと素人がいいんです。情報は山のように転がっています。どのようなものがお客さんを喜ばせるんだろうという探究心とそれに合わせられる柔軟性があれば。なのでむしろ素人の方がいい。究極の素人募集中!

かく言う私も今がどうだということは置いておいて、カフェもしたことはありませんでしたし、鍋焼きうどん屋もゲストハウスもしたことはありませんでした。持っているのは、やりながら変えていける柔軟性とアップデートしながらいいものをつくっていくという覚悟だけ。2名で1泊8万円以上する一組限定宿もはじめること実はすごく怖かったんです。でもここにある歴史ある建物、2階からの風景、まちの雰囲気は特別なものであり、素晴らしい料理人がいる。きっとまた来たくなる価値をつくれると、つくっていくと決めました。

一組限定宿、閑月庵新豊。大き目のソファーから絵画を見るように目の前に広がる多島美から朝陽や満月を望むことができる。

まだまだ成長していかなくてはいけません。

そのために前向きで志ある皆さんと多くの気づきを得たいと思っています。

共に学びましょう!

よーそろ商い塾