次なる一手

皆さま、お久しぶりでございます。代表の井上です。
7月の西日本豪雨災害によりとびしま海道のいくつかの道が分断され、一時完全な離島状態になった豊町でしたが、関係者の皆様のおかげでまだ片側通行の場所が少しばかりあるものの通常通り通行できる道に戻っております。本当に頭が下がります。ありがとうございます。
ようやく広島と呉を結ぶ有料道路のクレアラインも復旧し、広島からのお客様も徐々に戻ってきつつある御手洗です。

御手洗のある豊町は呉市方面からくる宮原浄水場と竹原方面からくる瀬野川浄水場の2か所から給水しており、この災害で断水になった宮原浄水場を止め、瀬野川浄水場からの給水に切り替えたため、断水は起こりませんでした。元々水不足に悩む場所であったため、それがかえって良かったのかもしれません。(この災害で初めて知りました。)
それ以前は御手洗には昭和3年に造られた簡易水道の配水池もありました。(昭和49年まで)それ以前は本州から船で水道水を運んでいたこともあったようで、一組限定宿にしている新豊にも水を溜める大きなカメがありました。

電気も4.5時間ほどの停電で済み、比較的通常に近い生活がおくれていたように思います。
しかしながら、観光客は当然ながら激減し…ほとんど全ての予約もキャンセルに。。
雨や台風などでお客さんの足が遠のくのは今までも同じ。今回の大きさは比にならないのですが、これを機にやはり次なる一手を急ピッチで進めねばと決心しました。

現在シェアハウスにしている港町長屋染初。
4部屋のうちすでに2部屋は埋まり、先日もう一部屋を借りたいと内覧と打ち合わせを。まだあまり宣伝していないのですがおかげさまでほぼ埋まりました。(こちらのお話はまた改めて。)

 <みかんを積む農船に贈る大漁旗を染めていた元染物屋。染初(そめはつ)は昔の屋号。>

ここは元倉庫部分も合わせると床面積がなんと300㎡にもなる広さで一階を食品加工場にと考えておりました。
というのもお世話になっている御手洗の元総菜屋さんから頂いた業務用の冷蔵庫やオーブン、大きなガスレンジ、シンクなど厨房機器類がある程度揃っていること、この島に何十種類という柑橘や面白い価値ある農産物があること、そして何より天候などに左右されない商品が必要であるから。
今までよーそろとしてやってきた価値の創造、仕事づくりの為に更にやるべきチャレンジです。
一組限定宿新豊や1階のレストラン整備と同時進行していたため、なかなか時間取れませんでしたが今スピードを上げて進めています。

 <一昨日やっとこさ取り付けた大きな換気扇とフード>

具体的には…ここに柑橘の乾燥機を導入し、ドライフルーツを軸とした加工品をつくります!
これから本格的な柑橘収穫のシーズンを迎えます。
また新たな取り組みをスタートさせます。やったるで~!
お楽しみに~。

大崎下島御手洗に築150年の一組限定宿

皆さまこんにちは。よーそろ代表の井上です。
梅雨真っ只中ですが、今日の御手洗は晴れ間あり気持ちの良い海風が路地を通り抜けております。

昨年からリノベーションを続け、2月27日にオープンした一組限定宿”閑月庵新豊”。
やっとこさWebサイトも整いましたのでいよいよ本格的に始動して参ります。

1階は和食レストラン「SEAFRONT DINING新豊」、2階は一組限定宿「閑月庵新豊」

閑月庵新豊Webサイト

古民家改修に問題発生はつきもの。
また地域での活動においても人が少ないぶん、事が動き始めると一気に進み、常に判断を迫られます。
大事なのは軸と柔軟性…不規則な波の動きをどう判断し乗りこなすか…ってビギナーボードで終わっている初心者サーファーの私が偉そうに言えませんが(笑)

実は未だに小さな部分改修を進め、色々なものを足したり引いたりしております。
この角度から見たらここが気になるから板を立てる、この椅子は空間バランス悪いから丸い椅子にするなど。

2011年にオープンしたカフェ若長もだいぶ落ち着きましたが、お客さんの動きを見てもう一つテーブル増やした方がいいとか、昇り降りが大変そうだから踏み台をつくるとか、厨房内でも無駄なく効率よくするために棚がこの位置に欲しい、このメニューはこの道具を使えばより早く提供できるかなど、常に考え、情報を取集し、試し、また考える。当然変えてみたものの元に戻すこともあります。が、元に戻したからこそまた違った角度でそのやり方や在り方を見ることができ新たな発見に繋がっていきました。

はじめることは重要です。が常に変え続けることの方が私は重要に思うのです。
あのサグラダファミリアも完成しない建築として有名だが、時が動く以上、人の心理や行動も動き、そう考えると100%完成はそもそもないのだと。
であるならば思ったことは始めたらいい。や、始めないとその先が見えない。
その一歩一歩の積み重ねが本物をつくっていくのだと思います。
だから、私は思ったことはとにかくやってみる。とにかく動いてみる。でないと後悔するから。

今回1泊4万円~の宿をつくりました。
それだけの料金を頂くのだからとあれもしなくてはこれもしなくてはと不安になることもしばしばありました。
が、この建物の素晴らしさ、料理、風景、流れる時間…関わる仲間たちと共に今までにない御手洗を感じてもらえるものを提供できる自信があります。
あとはそれらを活かす演出、お客さんがどの角度なら受け取っていただきやすいか、タイミングはどうなのか、心の声を聴きその橋渡しをすること。御手洗にまた来たい、またここで過ごしたいと思って頂けるよう様々な魅力を伝えるチャレンジと経験を積み重ねていきたい。

大き目のソファーから絵画を見るように目の前に広がる多島美から朝陽や満月を望むことができる。

この先も様々な難題にぶつかると思います。
その難題も私は乗り越える自信がある。なぜなら私は諦めないから。そのしぶとさが私の一番の武器かな(笑)
御手洗の新たな価値づくりに向け邁進します!

サグラダファミリアは2026年に完成するらしい。

第11回平山郁夫美術鑑賞絵画コンクール風景部門大賞と優秀賞受賞兄弟が御手洗へ!

よーそろ代表の井上です。
昨年11月20日の中国新聞朝刊でたまたま見つけたこの記事。

第11回平山郁夫美術鑑賞絵画コンクール風景部門 大賞

大きく取り上げられたこの絵の風景は!そう昨年3月28日にゲストハウス&バーとして新たに生まれ変わった旧越智医院と脇屋邸ではないですか!?
しかも風景部門の大賞とは!
木の色の違いをしっかりと見つけ、よく観察し色の違いを表現した昭和北小学校4年生、村上陽哉くんの作品に私はとても感動しました。
そして、風景部門の優秀賞にも。

第11回平山郁夫美術鑑賞絵画コンクール風景部門 優秀賞

同じく昭和北小学校2年生村上輝季くんの作品。旧越智医院の外壁の水色の違いや剥がれた塗装もいい味として表現してくれている素敵な作品。
もしや兄弟では?と心動かされた私は夕方昭和北小学校に電話しました。
中国新聞で拝見し、とても感激したこと、もし可能ならば描いてくれた旧越智医院のゲストハウスにご家族をご招待したいと先生にお伝えしました。

次の日お母さんから電話があり、ぜひとも伺わせていただきたいと(^^)
陽哉くんの夢は建築家と書いてある。今御手洗の空き家リノベーションにお知恵をお借りしている大阪在住で広島出身の建築家、鍵山昌信氏に相談したところ、泊りに来られるときに合わせて御手洗に行くと言ってくださり、うちが今改修している一組限定宿”新豊”を見せてあげることに。

そして昨日1/13御手洗へご家族でいらっしゃいました。
見るからに温かで素敵な家族。
皆さんを描いてくれた旧越智医院”旅籠屋醫”にご案内し、建築家鍵山氏ともご対面。
現在一組限定宿に改装中の江戸末期の建物”新豊”へ向かいました。
どのような考えで改修をしているのか、どのように見せるためどんな改修作業をしているのか建築家鍵山氏と私とで説明しながら案内をしました。

向かう途中、怪我の後退院されて間もない鞆田さんに遭遇。
うち見に来なさいと御手洗が誇る江戸末期の豪邸をみせて頂けることになりました。
昔のガラスの細工や忍者屋敷ような隠れた階段、広い庭や蔵、大きな梁に二人は興味津々な様子。

鞆田さん本当にありがとうございました!

そして13.14日にたまたま醫のテレビ取材に居合わせた2人も快くインタビューに応えてくれました。
<2/7(水)夜8:00~8:54放送 BS TBS放送予定のテレビ番組「美しき日本に出会う旅」>
緊張しながらもナイスなコメントを提供してくれました(笑)

明日月曜日、学校の先生にこの2日間で体験したことを皆の前で発表してくださいと言われているようで・・。
どうだったかなぁ~。あ~私も聞きに行きたい(笑)

陽哉くんと輝季くんと過ごした時間、とても楽しかったです。
協力してくれた鍵山さんありがとう!!

私達が伝えていきたい「古いもの、時間を経たもの(そこにしかないもの)にとても素晴らしい価値があること」。
彼らが板の変色や傷でさえもしっかり観察して描いてくれたように、建物や人が紡いできた時間と物語をしっかりと受け取り大切にしていきたい。
そして彼ら二人がこれからも興味や好奇心に真っ直ぐに進み、その観察眼をもって独特の感性を表現していってもらいたいと願っています。

とにかく、私はすごく嬉しくて嬉しくて。
とっても充実した時間でした。ありがとう!!

4月に作品が手元に帰ってくるらしく、御手洗で彼らの作品展が開催できるかも。
その時をとても楽しみにしています。

絵と同じ風景で。

空き家改修の次なるステップへ~江戸時代の町家を一組限定宿に~ 

皆さま、こんにちは。よーそろ代表の井上です。
長らくブログ更新してなくてすみません。。

築103年を超える大正時代の旧越智医院をゲストハウス(旅籠屋醫)として改修しオープンさせたのは今年の3/28。
こちらの右往左往した報告もしたいのですが、また後ほどじっくりするとして・・・。
この度は8月から片付けはじめ、今浄化槽埋め込み、絶賛改装中の江戸時代の町家“新豊(しんとよ)”を引き継いだこと、宿にすると決めた経緯について書いていきたいと思います。

昨年末、私の御手洗での事業づくり第1号である船宿cafe若長の近くに家を持つ御手洗の方から突然連絡があり、
「おい井上君、あそこの物件どんなか??どうにかせんか?」と。
聞くと、その方が昔(約40年前)住んでおられた海沿いの物件。平成三年の台風後に屋根と壁だけは修繕したが、内装や荷物はそのままで今後も帰る予定も活用する見込みもなくどうしようかと親戚の所有者が悩んでいるとのこと。
海沿いの一等地で家の構えがとても立派な物件で、気になっていたところでした。

「お前がやってくれるのが一番ええ!話しちゃるけぇやってくれ! んで、いくらだったら出せる?」と。
「う~ん、、確かに手掛けてみたい物件です。空き家であるのはもったいないし。。。銀行が貸してくれればこのくらいならいけますかね~。。う~ん。。」と私。(→まだ中も、状態も見ていないので何とも言えない感じ。)
「よし、わしが話しちゃるけぇ、ちょっと待っとけ!わしに任せとけ!」と。

「オッケイじゃ!来週ここに来るいいよるけぇ話詰めんさい!」…「は、はい。。」(私)
とその方の勢いに押され(その方は広島に近い場所で事業を起こされ、その地域のパイオニアとして今もご活躍の社長さん。私の活動を見ていてくださりいつも応援してくれる方なのです。)一週間後の話し合いが決まってしまった。

所有者さんもとてもいい方で、その家にまつわるお話を色々聞かせてくださいました。
その家は元々旅館を営んでいたこと、屋号は「新豊(しんとよ)」であること。どうして新豊という屋号なのか。そしてその屋号を残していってほしい事など。

私のやってきたこと、これから実現したいこともお話し、ぜひお願いしたいということに。
私も腹を決め、銀行から融資を受けれたらという条件でしたが、あれよあれよのうちに私が引き継ぐことになりました。

今まで手掛けてきた空き家・古民家5棟は、ほぼDIY。
時間と共に、また提供するサービスやお客さんのニーズによって変わるものであり、常に完成形はないものと考えているので(私の持論)不具合あれば即変更、即改善という形で各店舗を造ってきました。
しかし今回はいつもの改装だけでなく、大きな借り入れ金額が最初にオンされ、マイナスからの事業組み立てをせねばならず。しかも浄化槽のお風呂もなく。。

そのような状況でしたが、しっかりとした存在感ある物件に加え、船宿cafe若長の2階から見る風景以上かもしれない多島美がめいっぱい広がる素晴らしい風景を持っていること、御手洗での宿へのニーズと事業の可能性、私と同い年の建築家、鍵山さんとの出会いもあり、もう行くしかないと(笑)

鍵山さんは、よーそろの役員でありデザイナーである小林さんの旧職場の教え子で、東広島市出身、現在は大阪で活躍する建築家。
面白い建築家がいると紹介を受け、御手洗ミュージアム構想実行委員会の専門家として建築と街全体のバランスを考えたアドバイスを依頼し関わってもらったのが彼との出会いでした。

御手洗初のゲストハウス、旅籠屋醫の改装でも多くのアドバイスを頂きました。エイヤーで、つい粗くやってしまう私達の悪いところ(それでやり直すこともしばしば(笑))をより客観的にアドバイスしてくれました。また、新しいものをつくるのではなく、ここにしかないものをどう活かし、表現の中で伝え残していくか、私達の思いをしっかりと汲み取って提案してくれる素晴らしい建築家でした。

<建築家、鍵山昌信氏:  ア・ティエス環境+建築設計事務所

もちろん、今までにない大がかりな改装がゆえに構造的な問題や旅館業法をクリアするのにも建築家の力は必要でしたが、それ以上に私が組んでみたいと思わせる素晴らしい感性の持ち主だったことが、ここを手掛けたいと、いいものに手掛けることができると決断した大きな理由でした。

今までのDIYも当然行いつつ(予算の関係上・・)、新しいリノベーション、挑戦が始まりました。
あるものを剥がして、掘って、そこからお客さんのニーズに合うものにするため、当然設計通りにはいかず、トラブルは続きます。
それらをどうやって乗り切るか、そのマイナス面であるはずの予想外をどう楽しみ、どうプラスに変えていくか。今までやってきたノウハウをつぎ込み、関わってくれる沢山の仲間たちと共に、どうつくっていくか。
ここはほんと素晴らしい場所になりそうです。

この建物を今に残して下さった先人の方々、元所有者の方、応援してくださる全ての方へ。
どうぞご期待くださいまし!!

オープン予定は来年の2月。
じっくりつくって参ります。
また経過などもご報告しますので、どうぞお楽しみに~♪

2016年への感謝と2017年への船出へ。

2016年も残り数時間になりました。
今年も沢山の出逢いあり、関わってくださった沢山の方々のおかげで素晴らしい一年を過ごすことができ、これからの新しい年を迎えることができそうです。
本当にありがとございます!

常磐町通りの空き家であった江戸時代の町家、旧大島材木店を改装した‟潮待ち館”の平日オープン。
平日お客さまがまだまだ少ない中で土日以外の週6日営業は新たなチャレンジでした。
商品・サービスを提供し、建物を維持しながら家賃、光熱費、人件費を捻出しつつ、なんとかプラスに。

8月からは鍋焼きうどん尾収屋は西平製麺の西平直枝店長に変わり、薩摩藩船宿跡脇屋の一部が田中佐知男さん作品をはじめ妻佳織さんセレクト、作家さんの作品が集まるギャラリーに。
尾収屋の新店長、西平直枝さんは呉市内で60年製麺所を営む西平商店の若女将。
西平商店の若女将、直枝さん

鍋焼きうどんは西平製麺ののど越しの良い細うどんと、それらによくなじむ鯛のアラでとった優しくもコクのある出汁にリニューアル!
これがとっても美味しい!!
鍋焼きうどんはもちろんのこと、うどんだけではない様々な自家製麺をアルミ鍋で表現してくれています。
こちらは西平製麺でつくる冷麺を使った鍋冷麺。こちらも素晴らしい逸品!!さすがです!!
鍋冷麺

そして、薩摩藩船宿跡脇屋の座敷は田中佐知男さんの作品の常設展示の場所になりました。
田中佐知男さんは広島市安佐南区に在住、フランスで油彩画を学び、数々の賞を受賞されている作家さんです。(2016年も第4回広島県美展にて絵画系大賞&入館者人気大賞受賞)
お店には明るく素敵な奥様、佳織さんがお客様をお迎えし、佐知男さんは御手洗の街で新たな作品を創作されています。
そして新たな試み、田中佐知男さんと描くスケッチ会や、作家さんを集めたフリーギャラリーも行われました。
田中佐知男さんと佳織さん

田中佐知男さんの作品が御手洗郵便局の切手シートにもなりました。
とても完成度高く、写真では表現できない佐知男さんワールドに見とれてしまいます。
御手洗郵便局発売の佐知男さん作品切手シート

素晴らしい表現者が御手洗の街に新たな感性の風を吹き込み、御手洗の物語が新しい形で提供されています。
私たちの目指す方向が少しずつ形になりつつあります。

どこにでもある支店やフランチャイズのような大きな資本をポンと持ってくるのではなく、御手洗に残る素晴らしいものをその人にしかできない新しい感性で価値を創出していくこと。街の風景や文化歴史、その建物で行われてきた営みなどを大切に伝えながら、保存していくこと。
そんな場所とアクションが一つ一つ生まれることにより、結果としていくつかの課題を解決し、どこにもない素晴らしい街になるような気がします。

船宿cafe若長、薩摩藩船宿跡脇屋、鍋焼きうどん尾収屋、潮待ち館と、これまで4軒の場所を創ってきました。
関わってくれているスタッフや多くのメンター、沢山のお客様、お客様を超えた同志のような仲間とともに一歩ずつ…。
まだまだ、改善していくことは山のようにありますが、一つずつアクションを起こして参ります

もうすでに超高齢化社会を迎えている日本の10年後、15年後の働き方、暮らし方を、課題が沢山ある先進地とも言えるこの場所で示していきたいと私たちは考えています。現状になげくのではなく、それらを受け入れ、どう克服していくか。自分たちの‟今”起こす行動が、将来を創っていくことに繋がると思うのです。
その為に、現状をしっかりと見つめ、見極め、今あるものの中で価値の再定義を行っていくことが重要に思います。
今ある豊かな社会を築いてくれた先人に感謝しつつ、次の世代に何を残せるかを模索していきたい。
そのために、これからも様々な課題にチャレンジしていきます。
御手洗昔の写真

来年は春に空き家を改修したゲストハウスをまず1軒、2017年中にあと数軒手掛けていく予定です。
2017年はよーそろとしても1段階上がった大きなチャレンジへ!
御手洗これから目が離せませんよ~。

2017年もチャレンジさせて頂ける平和な環境に感謝しながら、世界中の人々が様々なことにチャレンジできる紛争のない平和な世の中を願っています。
皆さまにとっても素晴らしい1年になりますように。

2017年もどうぞ、よーそろ~(宜しく候~)!

12/18「第2回 いいね!地方の暮らしフェア」に行って参りました!

よーそろ代表の井上です。
12/18(日)東京国際フォーラムで行われた「第2回 いいね!地方の暮らしフェア」にゲストとして行って参りました。
主催は日本創生の為の将来世代応援知事同盟。
知事同盟に加盟する13県が集まり、暮らしの魅力を広くアピールすることにより、全国の若い世代の地方移住の促進を目指すというイベント。
いつもお世話になっている広島県地域力創造課の皆さんと広島県ブースでミニセミナーと移住相談などを。
御手洗で共に事業づくりに励んでいる潮待ち館マネージャーの矢野と大長みかんを連れて(笑)

遠くに見える入り口前の通路に長蛇の列…なんだこの人の多さは!!
そんなに列をなすほど地方暮らしに関心があるのかーーーっ!!!
ガラスの向こうはすごい行列!!

スゴイ人

…何を隠そう、スペシャルゲストにAKB48、チーム8のメンバーが来るらしく、多くのお目当てはそちらなのね(笑)
いいさいいさ、私は私の仕事を遂行するのみ。
御手洗にある昭和の看板、足長小学生デザインのTシャツとリストバンドをつけてイザ!!
行きましょう!!かずさん!!(ポーズに乗ってくれる広島県地域力創造課の山田かずさんと。どちらかと言うとそれはアイ~ンです。。笑)
県庁のかずさんと「がんばるよ」ポーズ(笑)

大崎下島の風景をつくる段々畑から生まれた甘~い大長みかんで釣りつつ(笑)、アンケート書いてもらう作業。
昼前になり、席がいっぱいになりました。なんと!
そう、昼前から私と、今年から尾道の地域おこし協力隊でがんばっている森さんがミニセミナーを行います。

ぬぬっ…うちわやグッズを持った若い男子ばかりではないか・・・
私たちのセミナーのあとAKB48の広島県代表メンバー谷優里さん(竹原市出身)がこの広島県ブースにくるらしく・・。
このやりにくい状況で私の出番。
「え~つと…谷優里さんが登場するまでもう少しお待ちくださいね~。アハハ‥(汗)」
「谷優里さんの出身である竹原からフェリーで45分で着く大崎下島は・・」
強引に話に引き込もうとする私(笑)
プレゼンする私・・・

意外とうなずき多く反応が悪くなかった15分間のプレゼンも無事終わり、いよいよ谷優里さん登場!
<AKB48チーム8、谷優里さん

なんだこの生き生きした観客の反応は!!(‘Д’)

顔がほころび至福の時というような幸せそうな沢山の顔に押され、私はズリズリ後退せざるを得ない。一時退却~!(笑)
そして、私のときにはなかった途切れることのない質問ラッシュ!!
完全に主役の座を奪われた私たちは小さく小さく、その背景と化す(笑)

谷優里さんが去った後は、祭りの後のように人がいなくなり、静かな時間が流れる・・。
私もほっと一息、アイドルの力とそれに魅了される人々のエネルギーを間近で感じることができました(^^;)

そうこうしながら、人の波が落ち着いてしばらくしてから、子供連れ若夫婦や男性の若者が広島県ブースを訪ねて来てくれました。
そして、ゲストとして招かれたスザンヌさんとのトークショーを終えた広島県の湯崎知事も広島ブースに。

私達の御手洗での取り組みもよく見て頂いており、応援してくださる湯崎知事なのですが、この度はうちがデザインしたオリジナル足長スポーツブランド”足長小学生リストバンド”をプレゼント!!
腕にはめてくださり、一緒にパチリ。「知事~、リストバンド逆さです~!」
広島県湯崎県知事と
<足長フォトコンテストも開催中!!詳しくはこちら潮待ち館Facebookページ

な~んて、そのように言う余裕もなく。。
イベント終了する17時前まで、相談ブースも立ち代わり人が話を聞きに来てくれました。
県庁の皆さま、大変お疲れ様でした!!

実は、今回の出張の目的はいくつかありまして・・。
一つは来春にスタートを計画している御手洗でのゲストハウスづくりの視察。(こちらは、共に活動するよーそろ矢野のブログをお楽しみに♪)そして、料理人探しと。
もう一つは御手洗で空家をいくつか所有されている方と、今後の所有物件の活用の協議を。
御手洗の街で今何が起きて、私達が何をしようと動いているのか、街の現状をお伝えしたく。

この続きはまた今度お話しするとして。
お付き合いありがとうございます。

これからも、今後の御手洗をよ~そろ~(^^)/

地方移住。欲しい人材とゆずる人材。 広島県主催、東京有楽町でのセミナーに行って参りました。

よーそろ代表の井上です。
11月24日(金)、この時期にして何十年ぶりかの雪降る東京有楽町。ここで開催されたセミナー「HIROBIRO.ひろしまinトーキョー まちづくり しごと トライアル編」でお話してきました。今回は私の活動する御手洗地区の他に県内5つの地域で活躍するベンチャービジネスの経営者が登壇し,それぞれ求めている人材を説明,移住を呼びかけました。
定員オーバーの33名の移住を希望される方が参加され,セミナー終了後も各地域の取組について熱心な意見交換も行われました。

その時の様子はこちらにも掲載。
「HIROBIRO.ひろしまinトーキョー まちづくり しごと トライアル編」を開催しました!

17時からのプレス説明会、広島県の取組の中で移住者の活動事例の一つとして発表し、休む間もなく19時からのセミナーに突入。
5分の持ち時間しかなかったので、かなり的を絞ってお話をしました。

プレス説明会前の様子

この度の伝えたい一言・・・ズバリ「料理人が欲しい!!」以上(笑)
潮の流れのはやい瀬戸内海の身の引き締まった魚介類に海産物。コクのある一級品のみかんやレモン、絶品の猪肉。これらの資源を感性と技術で活かし、目の前のお客さんを喜ばすことができる人。

以前からずっと言っている通り、誰でもいいというわけではありません。
空き家は沢山ありますが、すぐに話ができて住める家、活用できる家はそんなに沢山はないのです。また観光においても発展途上である御手洗という小さな街において、街にはない技術を持っているような求める人材にはまれば、お互いの仕事だけではなく、街の資源活用、観光客のニーズを満たす一石三鳥以上になるのです。
来年からは、よーそろとしても空き家のゲストハウス化を数棟取り組んでいきます。
その為にも料理人が必要です。もちろん、料理ができればいいというわけではないのでまた難しいところなのですが。加えて、うちのようなローカルベンチャーは普通に雇い入れる体力はまだなく・・、ハードルは高いと思いつつも求める料理人は個人事業として、またパートナーとして組めるローカルベンチャーな料理人。

今まで移住促進に関わってきて、また多くの移住希望者と話してみて思うことは、やはり”仕事”の不安。
「ちゃんと生活できるだろうか」「仕事がうまくいくんだろうか」と。
もちろんやっていくんだと腹をくくった先にしか得るものはないと思うのですが、出来る限り不安を消していく提案も必要です。
この度は料理人が来てくれるならば、どんな仕事を生み出せるのかお話ししました。

ゲストハウスでの料理提供や法事、イベント用仕出し、20~30人で組まれる観光ツアーでの食事提供(普段は入れないような場所での食事)、希望あればレストランづくり。それだけでも生活の基盤をつくることが可能です。
また、希望あれば営業、経理代行、その他古民家改修のノウハウ、住まい、暮らしのバックアップもやれるよと至れり尽くせりのご提案を。

残念ながら、この度の会場には求める料理人は現れませんでしたが、当然それ以外にも欲しい人材はあります。
21時からも懇親会でも本気で移住を考えているという若い男性としっかり話ができました。活躍の場は御手洗かもしれないし、他の地方かもしれない。もしかすると今いる東京でできるのでは? しっかりと話を聞き、私も出来る限りその人が活躍できるご提案をしたと思っています。

今回思ったこと・・・料理人はどこにいるんだーー!? ということ(笑)
恐らく厨房の中に。(笑) 
厨房以外ではどこで何の情報を取っているのか・・。尖った広報をしなければ尖った(欲しい)人物を得ることはできないと思います。誰でもいいならいいのですが。(もちろん、予想だにしない素晴らしいものをもった方も現れる可能性もそこにはありますが)

うちは料理人が欲しい・・・うちはフォトグラファーが欲しい・・うちはプロデューサーが欲しい・・、それぞれの地域がはっきりと打ち出し、優先的に欲しい人材情報をそれぞれが共有し、適材適所をコーディネートできれば…より地域に密着した丁寧な受け入れも移住者の活躍もスムーズにできるはず。
移住者の数を他県と競ってもそれは何にもならず。(移住者を増やすことは手段にすぎず)
特色あるこの地域で、こんな人が活躍する・・・パーツがバチッとはまったとき、恐らくその1人で地域がガラッと変わるのだと私は思います。そのような特色ある活きた地域をつくっていくこと、これが広島県全域の各地域で実現出来たら面白い。
地域が求める人材と活躍の舞台を探している人材がマッチする場所、仕組みをつくれたらと思います。

まだまだ手探り状態。焦らずじっくりと丁寧に活動していこうと思っています。足と手は急いでます!!(笑)
次回は12月18日に再び東京へ。

よーそろクルーツアー「江戸末期の廻船問屋、鞆田邸見学ツアー」

皆さま、こんにちは。
よーそろ代表の井上です。

先週7月10日(日)、ディープな御手洗を体験し味わう、よーそろクルーで鞆田邸見学ツアーに行って参りました。
鞆田邸は江戸末期~明治初期に建てられ廻船問屋で、ピッカピッカのたたき土間が迎えてくれる立派な町家。
御手洗では当時、御手洗相場といわれるような米相場が立ち、多くの物資が北前船によってやり取りされ、人口もこの小さな町で1500人を越えていたといわれています。
その時代に造られた千砂子の大波止や埋め立てでできた多くの土地から想像するに当時の廻船問屋の商いはものすごい勢いだったのでしょう。
傷みの激しかった今の鞆田邸を手直しし暮らしていらっしゃる家主の鞆田さんは、とても上品で明るく、お話も楽しいご婦人です。

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ここのお屋敷、「えっ!どこまでがお家なの?」と思うほど縦に長く、大きなお庭にそれを囲むように建物が。そしてお庭の中にも蔵があります。
そう、商売の街御手洗は税金対策の為間口は狭く、外観からは一見質素な作りに見えますが、実は家の中にその当時の繁栄ぶりを残す貴重なものが隠されているのです。

今も暮らしていらっしゃるので、大きく一般にオープンはできず、今回よーそろクルーの皆さんにその御手洗が誇る歴史ある建物を味わって頂きました。
コウモリの切り抜きがしてある欄間や細工、船大工がその場所でつくった箪笥、襖に隠れた階段、小作人が逃げ出さないようにつくったと思われる階段上の木の扉など、鞆田さんのスペシャルガイド付きの見学ツアー。
びっくりするような大きさの梁と桁。江戸時代にこれどうやって持ち上げて、このどでかい木のうねりを計算してどのように家を組んでいったのか、どれだけの人がどれだけの時間をかけて造り上げたのか、想像が大きく膨らみます。

2014-09-01 10.12.57

2014-09-01 10.02.39

2014-09-01 11.37.27

一軒のお宅を見るのに2時間も!
蔵の中や数々のお宝をみせて頂きました。
やはり何よりも、「鞆田さんが一番のお宝よね」と鞆田さんの魅力に引き込まれるよーそろクルー。

「こんな家…新しく創ろうったって創れないもの。お金じゃ買えないもの~。」と楽しそうに語ってくれる鞆田さん。
この街が紡いできた歴史、時間を後世に伝えるべく手を入れ、残してくださっている鞆田さんのこの街を愛するお気持ちに触れる度に私も胸が熱くなります。
本当にありがたいです。

御手洗の人が大切にしてきたものをまずはよく知り、よく学び、この街に残る独特な文化を伝え残していける一人になれれば。
これから世界の中で生きていく私達が日本人として世の中に訴えることのできる大切な何かがここにはあるような気がして。

まだまだ御手洗には面白い貴重なものが眠っています。
皆さま、ご一緒に冒険を!
よ~そろ~(^^)/