「御手洗町覚書(みたらいちょう おぼえがき)」とは、江戸時代から文政6年(1823年)にかけて、広島県大崎下島の御手洗地区における町の運営、社会規則、神社仏閣、商業活動、住民の生活などについて記録した公的な文書です。これは町の歴史や当時の人々の暮らしを知るための貴重な資料とされています。
1. 背景と目的
御手洗は江戸時代、瀬戸内海の重要な港町として栄え、多くの船が寄港し、商業や文化が発展しました。特に風待ち・潮待ちの港として船乗りや商人が滞在することが多く、町の秩序を保つために、町役人によってさまざまな規則や慣習が整備されました。
この**「御手洗町覚書」は、そうした町の管理や運営の基準を明文化**し、次世代へ引き継ぐために作成されたものです。町の住民、特に商人や船乗り、職人などが守るべきルールや、神社仏閣の祭礼の仕組みなどが詳しく記されています。
2. 記録されている主な内容
「御手洗町覚書」には、以下のような項目が記されています。
① 町の成り立ちと発展
- 御手洗の由来:菅原道真や神功皇后がこの地で手を洗ったという伝承
- 港町としての発展:江戸時代には寄港する船が増え、大長などの近隣地域から人が移住し、町が繁栄した
- 人口の推移:安永年間(1772〜1781年)は200戸ほどだったが、文化年間(1804〜1818年)には400戸へと拡大
② 神社仏閣と祭礼
- 宇津神社:大長地区の氏神で、江戸時代には6月4日・5日に祭礼が行われた
- 荒神社・蛭子神社・弁天社:地域を守る神社で、それぞれの建立や遷座の歴史
- 万舟寺・登光寺:御手洗の信仰を支える寺院の建立と本尊の由来
③ 町のルールと規則
- 住民の管理:移住や転居には役人の許可が必要
- 商業ルール:他国の商人が商売をする場合は、地元の許可を得ること
- 水道や清掃:町内の水道は毎年3月〜4月に清掃すること
- 防犯・治安維持:夜間の見回りや役人の交代制勤務の規則
④ 芝居小屋や娯楽
- 芝居小屋:町の文化・娯楽の場として春と秋に公認興行が行われていた
- 医者桟敷:医者たちが芝居小屋の特別席を無料で利用する慣習があった
⑤ 町の経済と商業活動
- 船宿や茶屋:風待ちの船乗りをもてなす宿屋や飲食店の管理
- 取引や商売のルール:他国の者が土地を買う際の制限など
3. 重要性と価値
「御手洗町覚書」は、江戸時代の瀬戸内海沿岸の港町がどのように発展し、統治されていたかを知る上で非常に貴重な資料です。この文書を通じて、当時の人々の生活、商業のしくみ、信仰や文化などを詳細に知ることができます。
特に、港町ならではの商業活動や規則、神社仏閣と祭礼の記録は、地域の歴史をひも解く上で貴重な情報源となっています。また、御手洗は近世の風待ち港として栄えた場所でありながら、現代でもその歴史的景観を残している地域であるため、この覚書は地域文化の継承にも役立っています。